【豊中駅前の歴史:76】80周年を迎えた大池小学校(2016年4月)
大池小学校は今年で開校から80年目になります。今号は鹿島友治先生の写真集:「ふるさとの思い出」(昭和55年発行)から抜粋し、その当時を振り返ります。
昭和9年の室戸台風は、京阪神地方に甚大な被害をもたらしました。大阪市内の小学校のうち古い構造の木造校舎は全て全壊・半壊・倒壊し、その数は180校にのぼりました。豊中でも木造建築であった小学校校舎の倒壊が相次ぎ、「熊野田小学校」では倒壊により校長ほか児童4名が亡くなりました。当時、豊中町では児童数の増加により新たな小学校の建設計画中でしたが、急きょ鉄筋建築に計画変更されました。本書には「当時の槇野町長の熱意により、鉄筋としては全国初の大蔵省起債が下りたという」と記されています。下の写真Aは建設工事の模様です。水を抜いた跡に土入れをしているのか、中央にはトロッコがみえます。写真Bは、昭和14年に運動場で開催された神戸市、尼崎市、堺市、豊中市の各市役所職員の野球チームによる親善試合の模様です。後ろには開校間もない新しい校舎が見えます。
昭和11年は、二・二六事件が勃発し、それを契機に軍部が台頭、国政への影響力を増していきます。中国では抗日運動が相次ぎました。ドイツのラインランド侵攻、スペイン内乱など、世界も日本も戦争に向かって進んでいく出来事が沢山あった年です。また、豊中町が豊中市となるのもこの年です。10月15日に 豊能郡豊中町・麻田村・桜井谷村・熊野田村が合併して「豊中市」が発足しました。それにより、名称も開校時の「豊能郡克明第三尋常小学校」が、市制施行により「豊中市克明第三尋常小学校」に改称され、戦時中は「豊中市大池国民学校」と変わり、戦後の学制改革により現在の「豊中市立大池小学校」になりました。
※大池小学校については当シリーズの第24回・第25回(コラム集「豊中駅前の歴史を振り返る」第1集掲載)で本町郵便局の前局長の中井和夫さんから、また第69回では柳田保夫さんからお伺いしたお話を紹介しています。
※豊中駅前の歴史を振り返るのバックナンバーはこちらをご覧ください。