【豊中駅前の歴史:89】スクランブル交差点内の道標(2017年9月)

スクランブル交差点の隅に石の道標が建っています。それぞれ、「右 豊中々 梅花女 学校道」、「左 箕面街道桜井谷村 野畑 少路 内田」、「昭和2年3月 施主 桜井谷村内田 溝渕豊吉」と刻まれています。「豊中々」とは大正11年(1921年)に創立された豊中高校、「梅花女」とは大正15年(1926年)大阪市内から移転された梅花高等学校です。
昭和2年(1927年)は、明治22年新免村・南轟木村・山ノ上村・桜塚村・岡町村が合併して誕生した豊中村が「豊中町」となった年です。豊高道は「豊中中学が現在地に建設されたのに伴い豊中駅からの通学路として開かれたのが始まりである。しかも、当時は舗装のされない地道、坂を登る荷馬車が苦労していたが、当初は中学生、女学生の他は数少ない住民が歩き時々、十二人乗りの阪神合同バス(阪急バスの前身)が東豊中まで走るのんびりした道路であった」(平成9年10月25日発行豊陵会会報「変わる風景②トヨコウ道はもっと広かった」より)とあり、その頃の道幅は10間(18メートル)で、別名「十間道路」と呼ばれていたそうです。また、府道豊中・箕面線(当時)として箕面街道が開通したのは昭和7年です。「写真集:ふるさとの思い出 鹿島友治著 昭和55年発行」には、「自動車のほとんど通らなかった当時は、もったいないような舗装道路であった。旧豊中中学では校外運動と称し、担任先生も生徒ともにこの道を走った。・・・今は道は自動車で混雑し、大型車の出会いの時は命のちぢまる思いをする。」とあります。箕面街道の開設に併せ、桜井谷村から豊中駅まで村営のバスが走りましたが、経営不振で2年ほどで廃止、阪神合同バスに売却されます。
昭和4年に豊中駅前に三等郵便局として開設された本町郵便局が産業道路(現・国道176号)の開設のため現在地に移ってきたのが昭和6年です。石碑が建った頃にはまだありませんでした。
大池小学校の創立は、豊中町・麻田村・桜井谷・熊野田村が合併し「豊中市」となる昭和11年です。昭和2年当時は池でした。「新免のツッパリ池」と呼ばれていたそうで、農業用のため池が各所にありました。観音池公園は上池、豊中温泉の辺りは下池と土手で仕切られた「観音池」、豊中郵便局は「平塚池」、大門公園は「大門池」等々。
駅前から銀座通り、阪急豊中市場の賑やかな通りを抜けた、大池の傍にひっそりと建っている石碑。右は上野へ向かうだだ広い十間道路が走り、左には桜井谷村内田(現:桜の町6丁目)へ向かう細い農道が繋がっているそんな風景を想像します。「桜井谷村内田の溝渕豊吉」氏はどのような思いで道標を建てられたのか分かりませんが、この道標は90年間、駅前の移り変わりを見守り続けています。


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