【まちなかの散歩:16】野村克也の引退、森繁久弥の旅立ち(2009年12月)

 今年も師走・12月を迎えた。『まちづくりニュース』も今号で25号を数え、この巻頭コラムも「過ぎ去った甲子園、味わった豊中の暖かい心」を書き初めとして21回、甲子園球場も新しくなった。同じく『豊中駅前の歴史を振り返る』もまちの方々の協力を得て「新開地市場の誕生」以来、8回目まで来ている。新生「新開地ビル」の工事が本格的に始まる時期と一致して感慨深い。そんな中、フォーラム用につくられた戦前・戦後の懐かしい写真集『昭和・平成の豊中駅前』(松浦幸夫制作)のCD-ROMも貴重な資料である。
 『まちづくりニュース』で毎回紹介しているように、まちづくり会社が主催し各界から講師を招く講演会「アイボリーフォーラム」も今月1日の『有馬のまちづくり、御所坊の経営戦略』で22回。“3箇月に一度、豊中で楽しめる寄席”と銘打った「アイボリー寄席」も5回を終えて、目標の笑福亭鶴瓶師匠を呼べるまであと5回とこぎつけた。プレミアム版の食事付き「新免館寄席」も、好評の内に第1回を開催、新春・初笑いを1月11日(祝)に企画できた。また、まちづくりの仲間から『株式会社黒壁の起源とまちづくりの精神』(角谷嘉則著、創成社)が書かれ、『奇跡の繁昌亭』(堤成光著、140B)も刊行された。
 刀根山道に、地元の方々の地道な活動の結果、歩行者の安全を期待して白線が引かれ、多くの住民の感謝の声を聞いている。まちづくり協議会とまちづくり会社が共催しての有機栽培・丹波の黒豆刈りと視察を兼ねた「丹波ツアー」も、今年は篠山市の好意により景観専門家のガイドによる篠山城下の武家・商家の町並み歩きを経験した。また2泊3日での老若男女での隠岐の島訪問の機会を得て、隠岐・豊中双方の方々から歓迎・感謝の気持ちを一杯に受け、より広い交流の道が開けた。かつては女人禁制の高野の道も、アイボリーフォーラムで知り合った『集落支援員』を尋ねて多くの女性達とも踏みしめることが出来た。市主催の「まちづくりフォーラム」に関わり、長浜への視察も出来た。長浜の観光商業の成果は、歴史に残る地元の熱心な活動に加えて、大阪から新快速が伸びたことが大きいといわれている。ゲゲゲの鬼太郎の“水木しげるロード”の講演会「まちづくりフォーラム」が今月15日にホテルアイボリーである。“道からまちを見てみる”試みである。
 今、「豊中駅前・通りの改善に取り組む会」が、新生・まちづくり協議会の活動として始められた。“魅力あるまち”づくり、道からまちを見てみよう、使い勝手の良い道とは?。テーマは尽きないようだ。かつてリーダーが語ったように「まちづくりは、息の長い取組です。自分達の子孫が、誇れるまちと言えるようになった時・・・」と覚悟を決めて始めた豊中駅前のまちづくりである。
 マルチ人間・森繁久弥氏が、若々しく生きることは「過去を振り返らないことです」と語った言葉に背き、自・他の歴史をつぶさに探りつつ、念じながら新しい情報をもむさぼるように捜し求める姿勢にこそ、今シーズン限りでユニフォームを脱ぐ野村克也監督が、しばしば引用する中国の諺「財を遺す(のこす)は下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」ではないか。「若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安・易(やすき)に就こうとする自らを戒め、冒険する心を忘れてはならない。人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。(サムエル・ウルマン)」

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.25に掲載)


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