【まちなかの散歩:52】穏やかな新年となりますように!(2012年12月)

 12月。年の暮れである。思い起こせば、かつて、この“年の暮れ”に「2000年問題」という大騒ぎがあった。コンピュータが年数の表現を下2桁のみで処理すると、2000年が「00」年となり、これを「1900」年とみなしてデータを日付順に並び替えると順序が狂うとされ、1999年12月31日から2000年1月1日にまたがって走る列車を最寄り駅に臨時停車、航空便は欠航あるいは年が明けての出発に変更されたりした。決して“平成”(平静)であったのではない。
 そして、今年は政治の世界で「2012年問題」がテーマとなり、アメリカでオバマが再選され、中国で習近平が来年3月からの国家主席の座を確実にした。間もなく韓国の大統領も新たに決まり、日本でも新春は新総理で迎えそうである。そして尖閣、竹島、北方4島、沖縄の“領土”問題をもとにして経済界の憂いをよそに、政治家が厳しい国家間の対立を煽っているとも思える。
 そんな中、今年のノーベル平和賞には、個人ではなく、「EU」(ヨーロッパ共同体)が選ばれた。日本では、東大阪の中小企業の息子であった山中伸弥教授の医学・生理学賞受賞に湧き立ち、その研究が多くの難病患者の光明となり、理論が実社会と直結するうれしい研究で喜びを禁じ得ない。一方で、村上春樹の文学賞受賞を逃したことを惜しむ声を報じても、EU生みの親が、日本で生まれで母親が日本人であるオーストリア人であることを報じるメディアは少ない。
 今も親日感情を引き継がれているリトアニアでの杉原千畝外交官のエピソード『命のビザ』を持ち出すまでもなく、平和外交の要諦は平常時からの交流であり、シンガポールがその資源のなさ、安全保障の危うさを避けるため世界各国の富裕層に沢山の不動産を買わせ、観光客を呼び込んで自国の平和安定を図っている。かつて日本は、中国、台湾、韓国から多くの留学生として受け入れ、その人脈でその後の長い友好を図り、米仏で学んだ若者が親米・親仏派となっている歴史的事実がある。我が「まちづくり会社」も竹島問題で対立した今年9月にも韓国・京畿道から10名のまちづくり視察団を受け入れている。来年こそ、政治的・扇情的なキャンペーンに惑わされず、国際平和を目ざして市民レベルの交流を冷静・現実的に進めたいものである。

 今年も色々とお世話になりました。寄付、労力の提供、協賛広告、貴重な情報等を頂き、落語会、講演会、豆刈り、・・・会社の各種のイベントに参加下さることで大いに励まされました。ボランティアスタッフも増えましたが、なお寄付・ボランティアスタッフともに募集中です。また、このコラム90回分をまとめた『まちなかの散歩』と『豊中駅前の歴史を振り返る』(87回分)が、それぞれ2分冊になり、定価500円(2分冊)でまちづくり会社で販売中です。ありがとうございます。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.94に掲載)


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