【まちなかの散歩:134】本気になってまちづくりを(2019年10月)

 連日の熱中症警報に気をとられ、9月1日が「防災の日」であることを忘れていた。関東大震災が起こったこの日には、かつて各自治体では大規模な防災訓練を実施し、マスコミにより大きく報じられていたが近年はとんと見かけない。常に大きな災害情報が溢れており、さらに、香港デモ、韓国・北朝鮮問題、米中貿易問題など氾濫する近隣国情報で、国民を劇場民主主義に導くには十分なのか。対岸の火事も我々の生活に影響が及んでくるから軽んじるのは良くないが、手軽に評論家的コメントを送る姿勢を助長せず、身近な安全・安心への備えを熟議する材料をもっと提供しても良いのではないか。
 そんな中、防災ならぬ「災害」“実況”は九州の豪雨災害が取り上げられ、さらにはメディア本社の東京を襲う台風報道が目につくところであるが、一方で、東日本の大震災や北海道胆振地震の検証や、南海トラフ地震への備えについて丁寧に報じられている特集番組に接すると、阪神大震災を経験した身には苦い思い出が蘇り辛いが、その真摯な報道姿勢にホッとする。
 豊中駅前まちづくり推進協議会も、かつては建て替え前の大池小学校の体育館で近くの学校の協力も得て音楽祭を実施し、災害時の避難場所としての役割とそのアクセスの方法を体験してもらうという意欲的な取り組みがされていた。行政にまちを守る気概が少なく、政治家にそれをコントロールする意欲と力量がなくては、温故知新の精神を忘れてはならないといっても糠に釘であろうか。
 昨年9月4日、今世紀最強とされた台風21号は最大瞬間風速58.1mを観測した。豊中市では自転車ごと吹き飛ぶ自転車置場の屋根、大阪府内各地でもビルの屋上から真っ二つに折れて落下するクレーン、解体中のビルから崩れ落ちる足場、吹き飛んだ看板や屋根、風車のように回転する観覧車など、大きな被害を目のあたりにした。大阪湾では大規模な高潮が発生し海水が逆流、関西国際空港では一面が海水で覆われ、空港と陸を結ぶ連絡橋に漂流していた長さ89メートルのタンカーが衝突。橋の一部が大きく壊れ、通行止めとなり3000人が孤立したことが忘れられない。
 府内では一時約100万軒が停電し、すべての地域での送電再開までには何日もかかった。直後に起きた北海道胆振地震でのブラックアウトでは数日間の暗闇の夜が続き、豊中でも台風被害で停電・TVの送信停止が数日続いた。豊中駅前での手信号で交通整理する警官の姿が放映されたとか。よくぞ、そんな技術が伝承されていたものと驚いたものである。
 想定外の気象状況だから止むを得ないとせず、操作できる事柄と操作できないものを切り分け、想定内のことを実行する力量を備えておきたい。安全第一は分かるが、近頃は、鉄道機関の計画運休と大雨警報・洪水警報発令が多すぎるのではないか。歴史的な異常気象を前にして、責任を負わされる危険を避けているのか。安易に安全な土俵の真ん中で相撲を取ることで失う日常生活の利便性、災害への備え、危機に対応する技術向上への努力、人智を絞って戦う覚悟、防災への先行投資を放棄してはならない。
「日本人はきわめて感傷的に自然を味方だと思っていますが北海道では自然は敵であり、北海道の人たちはヨーロッパの人のように一つの町をつくると、その町の外側は敵地だと感じたに違いない。そして町の中にいるから何とか生きていけるという緊迫感の上に立った人間同士の親しさを感じていたと思う」(『日本の町』※)。国土強靭法を成立させた政治家、「コンクリートから人へ」を主張した政治家は、本気になって取り組んで貰いたい。増税して災害復旧費を賄うとしたのではなかったのか。
 まちづくりも、“返り血を浴びる”覚悟で「皮や肉を切らせ、筋を通すまちづくり それで骨折ってまんねん」を目指してもらいたい。職場の部屋にいてパソコンの前でやっているつもりでは何とも迫力に欠け、情けない。

※『日本の町』丸谷才一・山崎正和対談 文藝春秋刊 1987年

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.233に掲載)


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