【まちなかの散歩:135】旅に思う(2019年11月)

 思うところがあって、旅に出る機会を増やした。10月初旬、琵琶湖湖畔・浜大津から京都・蹴上インクラインまでの『びわ湖疏水船』乗船ツアーに参加する。折角、浜大津まで行くならと淀屋橋から京阪三条経由で“地下鉄”に乗り、急勾配かつ急カーブの“登山電車”気分を体験し、最終地点で90度の右折をする“路面電車”の小旅行を鉄道線路マニアとして味わう。『琵琶湖疏水』は、都が“京から江戸”に移り、寂れた都市の復興を知事が構想し、水位差わずか4mの難工事を弱冠21歳の土木研究者の知恵と情熱に託し、当時の京都府予算の2倍をかけて1890年(明治23)に完成させた壮大な都市政策である。しかも当時、ほとんどを「お雇い外国人」に頼っていた土木工事を日本人だけで完成させている。あたかも“琵琶湖の水を京に引くことを阻んだ「逢坂山」”の鉄道トンネルが初の日本人だけで掘られたことにも通じている。農業用水・舟運・庭園用水が、水力発電・日本初の路面電車へと夢が広がる。『歴史的産業遺産』である。
 今年転職して入社したという添乗員が、好きでこの職業に飛び込んだというだけあって、参加者との会話の中で出てきた人名(専門家ぐらいが知る研究者)をメモする熱意を見た。営業運航を始めた『びわ湖疏水船』は「評判が良いのに春秋しか運航しないのは不思議だ」と口にすると、そこでは「そうですね」と相槌を打って終わったが、再集合した時「夏は臭くてトンネル内に虫が多く、冬は疏水の水が凍るので水を抜き掃除をするため」と説明がされた。関係者への取材であろう。参加者は勿論だが、研究熱心な添乗員を雇った会社も随分と得をしたものである。
 備中松山城、高取城と並び称せられる日本3大山城・岩村城に登る。見事な石垣を見せるために、それを覆い隠す周囲の山林伐採を所有者である市が認めないとぼやくガイドは、荒城の月で有名な岡城(竹田城)は伐採して見事に観光客を呼んでいることも、市長同士が懇意なことも知っていた。十分な知識を持ちながら、それを活かし効果を高める行動は起こさない。戦略なき弱さ。
 ほとんどの城でパンフレットに書かれている石垣には説明板がない。城郭は教育委員会で石垣は土木公園課の担当という縦割りのせいか?石垣も立派な文化財なのに。臼杵城では石垣を囲み立ち並んでいた民家を説得。トイレ・案内所などの関連施設のために立ち退いて貰った。まちづくりに為政者が先頭に立ち、強い意思・実行力・協力要請への熱心な姿勢を見せたという。平戸城で熟練のボランティアガイドの説明に熱心にメモを取る女性がいた。訪問者にとっては専門職かボランティアかは問題なく的確な情報が欲しいのである。“ボランティア”がいい加減な仕事をして良いはずがない。ボランティアを丁寧に教育する姿勢がまちや組織の質を向上させる。できない組織は衰退する。さて、わがまちは?

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.234に掲載)


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