【まちなかの散歩:106】公園のグラブ(2017年6月)

 町なかの桜が華やかに咲き誇り終えるのを見届けるようにして、家々の庭には初夏の日差しを一杯に受けとめるかのように枝を天に伸ばしたハナミズキが清楚な花をつけて、この町の穏やかな風情に彩りを加えてくれる。そんな町なかの公園の隅にグラブが1か月も置かれている。我々が子供の頃は“グローブ”と呼んだ野球用具である。野球人なら「バットやグラブは貴重な道具で武士の刀のようなものだ」と教え込まれたものだ。それが無くならない、誰もが持ち去らない地域社会とは、どういう社会なのだろうか?
 そんな思いが消えないまま、5月の連休中に、福知山線生瀬と武田尾間のJR廃線敷を歩いた。現在はハイキングコースとなっていて、清流と緑の中に所々にやまふじが顔を見せていた、暦通りの“みどりの日”のことである。枕木の残る単調なコースを3時間も歩いた。
幼い頃、田舎から煤煙と堅い座席の汽車に長時間揺られてきて間もなく都会の灯が見える希望のトンネル・清流・鉄橋だったことを懐かしんでいた。あの崖と谷底との幅員と隧道(トンネル)の高さを煙突を立てた蒸気機関車が走行していたことに改めて驚き、祖父が阪鶴線工事に駆り出されたと語ったこと想い出していた。鉄道ファンには改良を重ねる車両も良いものだが、近場では京都地下鉄直結となった京阪電鉄京津線の地下・登山電車・路面電車と性格を変える逢坂山周辺の急カーブ、急勾配、旧東海道線隧道跡、浜大津の直角線路を思い浮かべると、線路は“人の営みのために地形を技術で克服する”という歴史を感じさせてくれる。
 さて、このハイキングコースは、枕木が残り照明のないトンネルがあるとはいえ、平坦な道ということもあって、歳を重ねた夫婦連れも小さな子供連れの家族も多かった。まさに“清流と緑を求めて”の自然派、環境派の時間の過ごし方である。ところが、昼時になって三々五々に草むらに座っての食事をのぞいてみると老若男女を問わず、インスタントラーメンやコンビニ弁当の花盛りである。かつて、千里の保育所で高学歴の保護者が「給食に添加物が入ってないでしょうね!」と声高に叫びながら、家ではインスタントラーメンを食っていた事情を想い出し、遠くなったのは単線鉄道線路だけではなく「昭和」という時代も同様であると感じた。
 冒頭のあのグラブの持ち主は、どこで忘れたかを想い出せないのだろうか、転校してしまって諦めたのだろうか、新しく買って貰ったのだろうか。グラブが公園に忘れられたままにあるにつけ、贅沢になったというべきか、まちもまんざら捨てたものではないと考えて良いものだろうか? 貧しかった「昭和の野球少年」は気にかかる。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.197に掲載)


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