【まちなかの散歩:100】申年、去る(2016年12月)

 師走を前にして大方の予想を覆してアメリカの次期大統領に共和党のトランプが選ばれた。日米のマスコミは日本での選挙報道と同様に、事前の政策分析を十分に尽くすことなく競馬の予想を彷彿させるかのように相手への悪口雑言と事後の分析に時間を費やした。とはいえ蓄積された国民生活での格差に目をつぶった政策=惰性とも言える政治からの脱却を米国民が熱望したとも言えるのだろうか。
 緊張が走る日米の政治状況に国民はこれからどう反応するか。現政権がアメリカのナショナリズム・偏狭な動きに同調する時、我々は的確な審判を下せるのだろうか。トランプ言動と極似の橋下氏を歓迎した大阪府民・市民は、この現象をどう捉えるか。大衆に迎合したポピュリズムに陥ることなく、まちを愛していくリーダーを選ぶ訓練・教育・学習が一層重要な日常の生活習慣になってきているのではないか。
 さて、これまで毎年12月号では、年内の反省に紙面を尽くしたが、今年はもう少し長期に歴史を顧みたい。この「まちづくりニュース」(2016年6月・11月中旬号)のコラム『豊中の歴史を振り返る』で話題にしたバス停「市場前」が11月1日から「豊高道」側が「豊中稲荷神社前」に、「箕面街道」側が「宮山幼稚園前」にと、それぞれ現状にあった名称に変わり分かり易くなった。阪急電車も既に「服部」が「服部天神」に、「中山寺」が「中山観音」に変更されて久しいから名称変更そのものは特段珍しいことではないが、名が実に追いついたという意味では今回の出来事には大きな意義がある。関係者の働きかけが功を奏したということであり、歓迎し感謝したい。とはいえ、「北おおさか信用金庫」も今も「トヨシン」であり、「マストメゾン」も今なお「ニチイ」のビルと呼ぶ人は多い。それぞれの自分の歴史と創業された先人への敬意とが重なってそう呼ばせるのだろう。
 過日、四国を旅して吉野川上流にある高速道路のサービスエリア「吉野川オアシス」(東みよし市)で休憩をした。傍には「美濃田の淵」と呼ばれる景勝地があった。その広い川幅の中程に大きな岩があり、上に橋台と錆びた鉄骨が建っている(写真1)。 戦前まで唯一の交通手段とした渡し船では危険で時間がかかり大きな荷物も運べず洪水時には運行されない環境にあって、住民の切望を担って戦後の昭和29年、地元の篤志家たちが吊り橋工事を開始する。地元住民も労働奉仕をしているが、昭和33年リーダーの急逝と資金不足のため工事は中止されてしまった。当時を知る人々は、この徳島県名勝天然記念物の景勝の地に不似合いな残骸を見る度に当時の橋への切ない願い、希望、労働奉仕の苦労、工事中断の無念さを思い出すという。ところが、サービスエリア側の傍らには、そうした謂れの説明板はなかった。小学生を引率する教師に確認しても、このエピソードは教えないという。行政が責務とする社会的資本整備としての橋に公的資金を回せなかったことへの後ろめたさであろうか。
 さらに車窓から見える四国を唯一南北に結ぶ鉄道である土讃線は、1889年開業1951年の全通とされているが、1935年(昭和10)完成の大歩危駅の近くの線路・鉄橋(写真2)を見て、当時の土木技術、工事の困難さを想像させる一方、今更ながら地域社会における鉄道の存在意義を考えさせられ、こんな状況下で、あのJR東海などと同一に民営分割されてはたまらない、と地元の方々は思ったに違いない。まさに、日本の発展を支え、そこに住む人々に地域で“生きる術と誇り”を持たせ続けた遺産である。
 小さな旅を重ねて、懐は寒くなったが心豊かになれた1年であった。感謝。

 なお、(有)豊中駅前まちづくり会社は、年末22日(木)まで仕事をさせて頂き、年始は1月10日から始めさせて頂きます。


※写真1、2は下記まちづくりニュース第1面を御覧ください。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.186に掲載)


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