【まちなかの散歩:49】愛の反対は、無関心である(2012年9月)

 9月。残暑なお厳しいとはいえ、初秋。食欲・スポーツ、そして読書の秋を迎える。

 戦後のある時期を義務教育の期間として過ごした者にとって、教科書代が払えず、“使い古し”を譲り受けようと先輩の家々を訪ね回った経験、そして、わずかな追加修正のためにページが変わり、先生が指摘する箇所がなかなか開けられずに泣きそうになった幼い頃の思い出を持つ者は少ないのだろうか?(その後の教科書の“無償化”が高知の厳しい住民運動の成果であったということを後に知る。)

 給料が貰えるようになって、読めなかった時間を挽回するかのように本を“集め”始めた。まちづくりの現場で日々の実践を積み重ねる度に、学びへの欲求は増えていき、読みたい本がまた増えていく。たちまちに狭い我が家の空間は無定見に集められた本で一杯になり、家人の顰蹙(ひんしゅく)を買うことになっていった。そんな生き方をした者を応援する言葉に出会うことになる。“明日死ぬが如く生き、永遠に生きるが如く学べ!”インド独立の父。非暴力・不服従の運動家・思想家であるマハトマ・ガンジーの言葉である。

 目の前の課題に取り組むのに精一杯だった我が半生を思うと、知りたい欲望を抑え、後回しにしてきたこと、経験を踏んで無知を知ることが多く、やたら各分野にわたっての関心が増え、まだまだ“積読書”が溜まりそうで、家人の「もう、たまりませんわ」の声がまた爆発しそうである。だが、“愛の反対は無関心である”というマザー・テレサの言葉が、これまた、私の生き方を支えてくれる。

「今日、我々は知っている。愛の反対は憎しみではない。無関心である。信頼の反対は傲慢ではない。無関心である。文化の反対は無知ではない。無関心である。芸術の反対は醜さではない。無関心である。平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。無関心が悪なのである。無関心は精神の牢獄であり、我われの魂の辱めなのだ。」

 まちづくりや商業の活性化、まちづくりと商業の一体化の必要性に反対する人は多くない。だが、その反面、それを支えて奮戦する市民・商業者の活動に関心を持ち、自分のこととして関わり、自分の“まち・地域を改善しよう”とする人は残念ながら少ない。新開地市場の地下に若手商業者がスーパー「リコフェンテ」を出店した時も、刀根山道の改善活動も、しょせん他人事であった。今、豊中駅前は我々の生活を支える商用施設が次々と消えて行き、マンション・ラッシュである。

 『自画像としての都市』という本がある。恫喝に近い呼びかけであった“節電”を乗り切った今、東日本の現状に関心を持ち続けることは勿論だが、まちづくりを彩った“伝記”にも関心を持ち、現実を見つめ直してみたいものである。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.88に掲載)


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