【まちなかの散歩:34】チェック(2011年6月)

 東日本大震災の発生から3ヶ月が過ぎた。マスメディアの報道の中心は被災地の状況よりも節電対策で占められている。現地では、声を上げられずにいる多くの被災者が、まだまだ不便な身近な生活への支援を求めているというのに…。
 原子力発電事故がその原因とはいえ、現地に足を踏み入れた数少ないジャーナリストであり、国会での証言に立った青山繁晴氏によれば、そのほとんどが人災ということらしい。だが、いかにしてコストを下げるかを本性とする「企業」に任せておいて「危険防止に最大限のコストをかけろ」というのは矛盾であろうし、その後の対応として、株式上場を廃止せず社債も保護し株主も保護するというのは、これまた、市場への影響が大きいことへの配慮とはいえ、企業責任論からいえば常識からは外れているといわざるを得ないだろう。

  また、行政責任の大きさは否定の余地はないが、「行政依存の危機管理」の危険性は、阪神淡路大震災における教訓でもあったはずである。こういう指摘が大きく取り上げられることが少ない。東海村原子力(臨界)事故以来、メディア各社が社員ジャーナリストの危険回避という理由から自己規制して現地に行かない結果、隔靴掻痒の情報が飛び交う。

  官僚の天下り、国会議員と電力会社の関係、原子力行政の利権、原子力専門家の専門性と市民の常識との解離…。絡み合う利権、癒着の構造-聞けば聞くほど、ひどすぎる。
 中立的な立場である者の利益団体からの独立性の欠如。こんなことで、チェックが何処で行なえるのであろうか。一方で、メディアの体たらく。メディア各局が競って独自ルートの募金を集める。なぜ、ここでは各社が“癒着”して「皆さん、日赤へ募金してください。AC~」とは行かないのだろうか? 色々なことが見えてきた今回の震災である。

 首都である東京が危ういとなると、関西副首都建設と言い始める方もおられる。千里ニュータウン建設時に、千里中央地区に金融企業の情報機能を集中させ、東京本社のバックアップ機能を持たせたが、その後、その機能を廃止、研修センターとし、効率を重んじる株主から「遊休地」批判の圧力にマンション群化していった過去の経緯をお忘れのようだ。伊丹空港(大阪国際空港)跡地を候補地とする副首都構想も浮上しているらしいが、伊丹空港を廃止して海上空港・関空は南海地震の際に大丈夫か?関空の連絡橋。関空の地下施設に不安はないのか?災害支援の輸送拠点となり得るのか?油断できない。
 過日実施された選挙で、市の選挙公報と当選市議の顔ぶれをみると市長推薦候補が定数36人に対して20人になっている。コントロールが効かなくなるのは、原子力行政だけではない。阿久根市、名古屋市と昨今、話題にならなくなったが、自治体における議会と首長の権力コントロールも同じ危険性はないだろうか?手元にある昭和34年発行の中学校社会科の教科書「新しい社会」⑤にも三権分立が明記されている。東日本大震災で効率一辺倒が拙いということを経験した今、身近な政治をもう一度考えてみたい。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.59に掲載)


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