【まちなかの散歩:47】砂浜(2012年7月)

 7月。朝の散歩途中で、風に乗って聞こえてくる梅花学園・女生徒の清純なコーラス。甘酸っぱい思いが込上げると共に、我が身の人生の収穫期を知り、さらに、早くも一年の半分が過ぎたことを知る。長月である。

 過日、若者達に東日本の震災現場の写真を見せる機会を得た。今なお復興せぬ現状に驚愕し、自らの怠慢に加えて、政治のみならずメディアへの不信感を学習していた。よくよく見れば、アルバムは勿論だが、それぞれの残骸には震災前までの家族の生活臭が籠っており、その思い出が被災してしまった「被災物」だとする呼称を映像で実感する。「瓦礫」は「被災物」だという主張に共感を覚え、行動を起こしたいと語る者も少なくなかった。

 被災物が遠くアメリカ本土にまで漂着したとの話を聞いた。これからも大きく太平洋を回って行くという。未だ行方不明の家族を思う東日本の方々の気落ちも今もなお、落ち着かない日々に違いない。震災特需が雇用不安で悩む被災者の頭上を越えていく。
 海岸近くに建てられた老人ホームは、かつては、防風林の緑に守られ、その先にある遠浅の海岸、寄せては返す穏やかな波という宮城平野ののどかな風情のあるものであったろうに・・・。そうした思い出はおろか、建物も収穫期の人生も津波に流されてしまっていた。
『砂に書いたラブレター』のように意識的に消したい思い出もあり、その過程を経て、やっと辛い思い出を忘れ得る知恵を我々は備えている。しかし、忘れる前に学習しておかなければならい事も沢山あるはずだ。

 海岸で繰り広げられる潮干狩りは、春から初夏にかけての風物詩である。組織の中では“うだつ”の上がらぬ社員として扱われていた部下が、家族連れで来て貝を掘っている姿に、威厳ある大黒柱として頼られていることを知り、翌日からは彼のプライドを立てて仕事を依頼したという話を先輩から聞き、自身の戒めとしたものである。“隗(かい)より始めよ”か。

 古い話で恐縮だが、橋本忍の脚本でフランキー堺が主演した『私は貝になりたい』というTVドラマ・映画があった。軍隊時代の戦闘行為から戦犯として絞首刑の判決を受け、深い海の底の貝だったら戦争もない、兵隊もないので、どうしても生れ変らねばならないのなら、私は貝になりたいという遺書を残して死刑執行を受けるという内容だった。海岸の砂は、あまりにも丸くなり過ぎているという興味ある見方がある。折角、仲間同士で、しっかりと自分の意見を表明する力と勇気をつけながら、山奥の上流から海に向かって流れてくる途中に、いがみ合い、傷付け合って丸くなってしまったというのである。

 潮干狩りで掘り当てた貝も、口をあけてしまうと腐っているので食えない。砂を吐き、泥を吐くだけでなく、“甲斐(貝)なし”と思いつつも、“青臭い”と言われるのを覚悟で出来るだけ“正論(せいろん)”(意見が“スリランカ”と言われても)を吐き、お節介焼きをしておきたいものである。これまた、“口あんぐり”であろうか?

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.84に掲載)


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