【豊中駅前の歴史:26】本町3丁目周辺(2011年6月)

このシリーズは、豊中駅前がどのように形成され、変遷を重ねてきたかを振り返り、これからのまちづくりに活かしたいと考え企画しました。
今回は大池地区公民分館の元分館長の菱田實さんにお話を伺いしました。

——お庭に井戸があるのをお見受けしましたが、大変懐かしく思いました。最近では殆ど見受けませんね。
【菱田氏】植木の水遣りのためにこの家を建てる時に掘ったようです。昔はつるべで汲み上げ、桶に移して水遣りをしていましたが、近頃はモーターで汲み上げ水を遣っています。最近水かさが大変少なくなったようです。水脈が変わったのでしょうかね。
——このお屋敷はいつ頃に建ったのですか
【菱田氏】戦争が始まった頃の昭和15年ごろですね。以前から土地は持っていましたが、父が戦局の悪化や子供たちの環境を考え、大阪からこの地に移り住むことに決めたのだろうと思います。当時は戦時中で建築資材が不足していて、大変困ったと聞いています。幸い戦災に遇わずにすみました。何度か改修はしましたが、殆ど建てられたままの建物です。
——昔から住んでおられるご近所のお屋敷とは違う、以前お話を伺った「本田さん」や「川戸さん」のお屋敷に似たところがありますね。
【菱田氏】門や玄関・一階など全体は和風ですが、2階は客室がある洋風になっています。戦争前の昭和の時代にはこのような建て方が多かったようですね。昭和モダンというか、和風に洋風を取り入れる様式ですね。
——ご近所に茅葺屋根のおうちがありましたね。
【菱田氏】最近無くなり、跡地は数軒のおうちに建て替わりましたね。へび神社と茅葺のおうちがこの辺りの昔を偲ばせる雰囲気のあった場所でした。茅葺のおうちの近くには背の高い楠木や柿の木が立っていました。子供の頃は、駅から刀根山道を通り法雲寺のある辻を曲がると、その木が見え、我が家に帰ってきた安堵感を覚えたものです。
——近くに「本町3丁目公園」がありますね。
【菱田氏】あの公園は永く独り暮らしをしておられた方が、亡くなった後の土地を地域に役立てて欲しいとの思いで、本町3丁目自治会に相談され、自治会は市と相談し、児童公園にする事になったと聞いています。石碑には「本公園は、この地に永年居住されていた、故豊田カネ氏が、生前児童の健全な成長を願い、所有地を豊中市に寄贈され、その意志により、児童公園として竣工しました」とあります。作られたのは昭和60年ですね。
——菱田さんのお宅の前の道から向い側は本町4丁目になりますね。なにかこの道を挟んで少し趣が違うように思えるのですが。
【菱田氏】そうでしょうかね。昔の村の成り立ちから調べてみなければ判りませんが。
この「本町3丁目公園」の横を千里川に向って下りて行くと、川を前にして右角に教会がありました。「しののめ教会」と呼ばれていました。昭和52年に建てられたと聞いています。子供たちはみんなでクリスマスに行くのを楽しみにしていました。今は、本町9丁目の千里川沿いに移っていますね。
——では、お話を変えて、菱田さんは大池公民分館や社会福祉協議会など、長い間地域のお世話をされて来られました。「『公民館』は『交民汗』と心に決めて頑張っています」と仰ったことをお聞きした事があります。その想いと活動の歴史のお話は次回にお伺いします。今日は有り難うございました。

(菱田 實氏プロフィール:昭和3年生まれ 本町3丁目在住 元大池公民分館館長 元大池地区社会福祉協議会会長)


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