【まちなかの散歩:128】相撲・センバツ・選挙(2019年4月)

 4月。年度始めで、勤め人は転勤・退職・異動、学び人は就職・入学・卒業・転校と慌ただしい季節である。運送業界もご多分に漏れず人手不足で転宅もままならぬとか。えらい時代になったものである。
 幸か不幸か、そうした人生を精一杯に生きてきて、今や「誉生」を送る年金生活者には他人事になってはいるが懐かしくもあり、後輩達に励ましの拍手を送る余裕もある。そんな身にもこの時期の豊中駅前には変化があって楽しい。大相撲大阪場所、選抜高校野球、そして今年は市議・府議・知事選挙の年である。
 3月10日に春場所(大阪場所)が始まり、時津風一門の荒汐部屋が豊中稲荷神社を宿舎とする。大阪場所が本場所となったのは1953年(昭和28年)3月8日からだが、荒汐部屋が稲荷神社に来て蒼国来を筆頭に若い力士の鬢付け油のきつい香りを街中に漂わせたのは2008年(平成20年)からである。豊中温泉やジオ鍼灸整骨院に出入りする大柄な若者たちを見かける季節であり、地域の閉塞感を和らげる。
 さらに3月23日からのセンバツ(選抜)高校野球の豊中代表は曽根の履正社であるが、大分代表の明豊高校が豊中駅前のホテルアイボリーで合宿をする。これまた、大銀杏の結えないザンギリ頭の力士と対照的に丸刈り頭でバットの素振りする青年の姿を見ることが出来、青春を思い出させ、血湧き肉躍る。
 対照的な存在と言えば、豊中市では、かつて下水道を敷設して市内普及率100%を全国に先駆けて実現したリーダーと、柳を街路樹として植え早々と緑化成果を挙げたと“自画自賛”したリーダーがいたという。昨年の豪雨でも雨水を地下で受けとめ水害を防いでくれたように、目に触れない都市基盤(インフラ)を地道に実現して、我々後世の市民に大きな財産を残してくれた姿勢に、雨で萎んだ柳を植えたリーダーは自らの先見性・戦略の無さを嘆き、葉っぱならぬ肩を落としたと聞く。
 技術畑で企業への優れた業績をあげ、トップになれば経営全体を考えることを「組織を預かる責任者」として学ばねばならない。地域社会における統治者としての首長も自らひたすらに歩んできた道を誇ることは早々にして他の不得手な分野への政策研究を現地踏査と共に実行に移さねばならないだろうし、更には選挙公約を部下に徹底し、その政策実現のために部下には「市民の自律を促す行政活動」に必要な「規定演技をこなして自由演技」に取り組む姿勢を率先指導してもらいたいものである。
 かつて『社会教育の終焉』という考え方が主張され、「生涯学習」の重要性が説かれた。教育委員会の部署名も「生涯学習部・課」となって、市民が“偉い人”に「他動的に道を説いて貰う」ことから「生涯に渡って自ら学習し人間としての発達に努める」となり、市民としての自立を促し、「社会の仕組みを利用する喜びから、さらに支える喜びを感じる市民」として次代を担ってくれる人材を育む姿勢となったのである。
 今日、行政が市民を教育する前に、自ら行政の何たるかを真剣に学習し、市民に向けての行政活動を自由に展開してもらいたい。まちの人びと・活動をしっかりと見つめ、まちの人びとと積極的に交わり、意見を交わし、政策に取り入れる姿勢を持ち続け「攻撃的調整」を役所の内外で実行することを実現してもらいたい。選挙はいつでも被害者から脱する機会であり、加害者にならない絶好の機会でもある。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.227に掲載)


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