2017年6月15日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:11】(2017年6月) 最初、我が家6人は4畳半の部屋だったのですが、後で3畳の部屋に変わりました。次兄はこの3畳の部屋には押入れがあったと言い、「都合が良かった。こふき芋を作ってこの押入れで隠れて食べた。家族だけで隠れて食べた記憶がある」とい […]
2017年6月1日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:10】(2017年6月) うちの家族は一番上の家に入ったのですが、その3畳、4畳半、6畳、6畳の家に5家族が入りました。長屋になっていた隣には清津から来た家族ばかりではなく、順川にいた2家族も入りました。旭硝子の人や順川に暮らしていた日本人は、持 […]
2017年5月15日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:9】(2017年5月) 次兄の話として、演武場から旭硝子の社宅に変わるとき、皆が先に行って、祖母と次兄が後から行くことになっていました。しかし、次兄が行くとき、祖母から「ちょっと、買い物をしてくるから、ここで待っててくれ」と言われていたのですが […]
2017年5月1日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:8】(2017年5月) あるとても暑い日の夕方、母が長兄に「三郎が泣くので、ちょっと、おんぶして涼しい所に連れて行ってやってよ」と頼みました。長兄は、おんぶして外へ出ました。翌日、午前中に母が「三郎の呼吸がおかしい」と言って騒ぎ出しました。三郎 […]
2017年4月15日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:7】(2017年4月) 私が中学か高校のとき、父が笑いながら話していたことを思い出しました。この頃の話だと思うのですが、父は補助憲兵だった事。2人で組んで山(森の中?)に入って行ったとき、2人で相談したそうです。このまま、銃をもっていたらまずい […]
2017年4月1日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:6】(2017年4月) 兵隊がいたから心丈夫でしたが、兵隊は鉄に弾を詰めていました。兵隊は「そこには神社がある。朝鮮人が神社を焼いて騒いでいる」と言いました。武装解除になって無かったので会社の寮には何人か兵隊がいました。 赤ちゃんがここで何人か […]
2017年3月15日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:5】(2017年3月) 少し動いて、港町の元山(朝鮮の読み方、ウオンサン)に止まっている15日の昼頃、誰ともなく「ラジオで休戦になったという放送があったらしい」との噂が車両内に流れました。子ども心に兄は、「ああそうか、一休みして又するのか、休戦 […]
2017年3月1日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:4】(2017年3月) 13日のまだ明るい夕方に乗ったのですが、走りません。2つか3つか先の駅、羅南で止まったまま、翌日の午後になっても、動きません。ぎゅうぎゅう詰めの背車の中で、じっとしていました。昼頃、この羅南の駅で「在郷軍人は全員降りろ」 […]
2017年2月15日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:3】(2017年2月) 8月13日、お盆の日の昼頃(お盆の入りやからといって、お盆の準備をしていたので間違いない、と長兄は言う)海のほうから、ぽんぽんと音がし出した。ところどころ、火の手が上がっていた。下に見える道路を人が沢山歩いている、道一杯 […]
2017年2月1日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:2】(2017年2月) ソ連が参戦するまではアメリカの偵察機が、一機たまに来るぐらいで飛行機雲が綺麗やなぁと眺めていた。日本の方での被害の情報は届いていたが、子供にとっては無関心だった。 ソ連が参戦してからは、空襲警報は解除になっても、警戒警報 […]
2017年1月1日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 豊中まちづくり研究所 北朝鮮逃避行 【北朝鮮逃避行:1】(2017年1月) 今回から、第2次世界大戦の終戦を北朝鮮で迎えて日本に引き揚げてきた幼い頃の経験を、微かな記憶を頼りに今や高齢になった兄達からの助けを借りながらも書き留めた昔乙女の『北朝鮮避行』を連載します。 朝倉やさ子 昭和20年8月1 […]