【北朝鮮逃避行:6】(2017年4月)
兵隊がいたから心丈夫でしたが、兵隊は鉄に弾を詰めていました。兵隊は「そこには神社がある。朝鮮人が神社を焼いて騒いでいる」と言いました。武装解除になって無かったので会社の寮には何人か兵隊がいました。
赤ちゃんがここで何人か死にました。弟の三郎は5か月位でしたが、ここでは、大丈夫でした。
この寮に来て二週間位たった頃、友達が「うちは700円もっている」と自慢げに言いました。それを聞いて、うちも計算したのか、その後、母が「うちは2200円持っている」と、そっと長兄に言いました。父がもらっていた月給が100円だったことを長兄は父からきいていました。でも、それも、供出させられたのか、あっという間に無くなっていました。
この寮のそばに川があったので、長兄はする事がないので、川で遊び、ここで泳げるようになりました。
寮に来て、二週間ほどしたある日の午前中、父が突然、やってきました。
解散命令が出たのでしょうか、列車に乗った父は、清津の社宅にいるときに家族を順川に疎開させる話が出ていたのを知っていたので、何か家族の情報がわかるかも知れないと思って降りてみたら、家族がいた、ということらしく、その時父が牛肉の缶詰を1個持っていたのを、高価なものを持っているなあと、子供心に長兄は思ったといいます。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.193に掲載)
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