【北朝鮮逃避行:11】(2017年6月)

最初、我が家6人は4畳半の部屋だったのですが、後で3畳の部屋に変わりました。次兄はこの3畳の部屋には押入れがあったと言い、「都合が良かった。こふき芋を作ってこの押入れで隠れて食べた。家族だけで隠れて食べた記憶がある」といいます。でも。長兄は「えっ?覚えていない」。家族だけでおれたのでしょう。離れの感じだったのでしょう。
この時間、父はリーダー的立場で、父親らが切り盛りしていました。機械課長、電気課長は、しばらく一緒にいたのですが、途中で清津に連れ戻されました。ソ連兵が工場を稼働させるため課長等を連れ戻したのでしょう。その後、家族も連れて行かれました。
資材課長は東大出でした。でも非常事態には対応できませんでした。長兄はこの時、ちゃんとした組織の中で仕事ができるのと、非常事態の時に対応できるのとは違うこと、活力のある人がリードしていかないといけない時があるのだと言いました。組織の中でと非常事態の時では違うんだと子供心に思ったそうです。
兄達の思い出として、たばこの好きな“こじまさん”というおじいさんがいて、暇があったら、たばこ巻をしていました。たばこの配給はないので、闇市に行って、乾燥したたばこの葉を買ってきて、これを粉にして紙で巻いたり、葉のまま巻いた葉巻にしたりしていました。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.198に掲載)


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