【北朝鮮逃避行:9】(2017年5月)

次兄の話として、演武場から旭硝子の社宅に変わるとき、皆が先に行って、祖母と次兄が後から行くことになっていました。しかし、次兄が行くとき、祖母から「ちょっと、買い物をしてくるから、ここで待っててくれ」と言われていたのですが、待ってられなくなり、誰か分からない人についていってしまい、心細くなっている時に、母に出会い、飛びついて、わあって泣いたそうです。
旭硝子の社宅も清津と同じで、こんもりした丘?山とその裾野に社宅が沢山建っていて、その先には大きな川が流れていました。大同江と言う川で、朝鮮では川に橋が無く、渡し舟で行き来していました。2~300メートルの対岸には白い砂浜が見えていました。冬は氷が厚く張るので、氷の上をトラックが走っていました。
全日本人が旭硝子の社宅に集められました。その全日本人の中で、商工会議所的なもの、「日本人会」を作り、地元の朝鮮人やソ連の人に、日本人の生活ができるように交渉してくれる人が出てきました。トップは「五十嵐」という人がなりました。この人には年頃の娘さんがいたのですが、彼女はソ連幹部の2号さんになっていました。五十嵐さんの家が「日本人会」の事務所になっていたかもしれません。五十座さんは旭硝子の人ではなく、色々の商売で住んでいた人の一人でした。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.196に掲載)


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