【北朝鮮逃避行:5】(2017年3月)

少し動いて、港町の元山(朝鮮の読み方、ウオンサン)に止まっている15日の昼頃、誰ともなく「ラジオで休戦になったという放送があったらしい」との噂が車両内に流れました。子ども心に兄は、「ああそうか、一休みして又するのか、休戦なんだな」と思いました。[負ける]という発想はありませんでした。
実は社宅にいるとき、ソ連参戦がわかった後、会社内で、順川に三菱系の旭硝子の工場があるので、そこに家族だけは疎開させようか、と言う話が一部に内々に出ていたらしいのですが、汽車が順川についたとき、汽車に一緒にいたタバコの好きなおじいさんが、「皆も何も食べてないし、いっぺん降りて休養して、これからの事を考えようや」というのを聞いて、順川で記者を降り、旭硝子の寮を頼って行きました。16日の事でした。
寮に行ったら、「ご苦労さん」と言って、快く食べさせてくれ、泊めてくれましたし、日本兵も何人か、いました。この寮は独身寮で、独身者、出張者用の寮で、そこには兵隊もいて、居心地が良いので、そのままいました。
何日か後に朝鮮人が血気して、順川にあった日本の神社などを焼き払った時があり、夜、空が真っ赤になりました。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.192に掲載)


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