【まちなかの散歩:125】温故知新(2019年1月)
新年明けましておめでとうございます。昨年は狂暴なまでの気象現象が繰り返され、各々が対応に追われ慌ただしい年でした。そして読者の皆様方には何かとお世話になりました。
この有限会社豊中駅前まちづくり会社も1999年(平成11年)12月21日の設立から今年で20年目を迎えます。創設にあたって高らかに掲げた理念は、「まちづくりに必要な事業を『まちに住む人』『商売や事業をする人』『まちを舞台に活動する人』が進めていく社会を作ろう」というものでした。今日までの歩みを振り返ると、その高い理念が残念ながら遥か遠くにあることに極めて忸怩たる思いでおります。
「会社寿命30年説」は、昨今の栄枯盛衰の流れを見ると的を射ているようではありますが、「豊中駅前まちづくり会社」の昨年の実績は「まちづくりニュース」の前号(12月号)で既に述べたとおりです。我々はこの流れに掉さして、創設した頃の気持ちの高ぶりを思い出し、地域への愛情を忘れずに活動を続けたいと考えております。今年もご支援のほど、よろしくお願いいたします。
暮れに喪中挨拶が続々と届き、知人友人の高齢の両親の訃報と共に、多くの同年齢の知人友人が世を去った。そして平成が終わり新しい年号が生れるようとしている。「平成最後」を冠としたマスコミ・商業界の声が高い。とはいえ、市民は、これまで(役所への提出書類などを除けば)それほどまでに「元号」を気にして使ってきたのだろうか。
年初めの4か月は、退位される今上天皇と美智子妃殿下の時代をマスコミは取り上げるであろう。さらに一見平和な平成の時代を振り返るように、軽井沢でのテニスコートでの溌剌とプレイに興じられる姿と清純なテニスウエアを繰り返すであろう。かつて同級生らがVネックの白いセーターを着て楚々とふるまう姿の眩しかったことを昨日のように思い出す。彼女らも今や落ち着いた素晴らしいお祖母ちゃん人生を歩んでいるのだろうか。
さて改元の話題に隠されて一向に取り上げられないが、4月には統一地方選挙がおこなわれ、豊中市議選挙・大阪府議選挙が実施される(4月21日?)。4年という長期間、身近な政を託す市民代表を選ぶという貴重な機会がまた訪れようとしている。
昨秋に秋田県にかほ市象潟(きさがた)の上郷「温水田」を見る機会を得た。この仕組みは昭和初期に村長・佐々木順治郎が鳥海山の伏流水である冷水では稲には不都合と、日当たりの良い場所に傾斜が少なく、出来うる限り水路幅を確保する一方で水深を浅くした農業用水路を作ることで太陽熱を吸収させ水を温めるよう地域に広めた工法である。水路には随所に高低差のある落差工が設けられ、水が滝となって揉まれることで摩擦熱が生じて温度が上昇しやすいよう設計された。冷水による生育障害でコメの不作に苦しんだ地区の人々は、農作業の合間や農閑期に労を惜しまずに岩を運び水路を広げる土木作業を行ったという。
かつて「権力と権威は困った人のために使うように」と諭された言葉が思い出される。「温水田」は、地域の人々の立場・気持ちに沿った対応、政策・施策である。『温故知新』という言葉を心して過ごしたい一念(一年)である。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.224に掲載)
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