【まちなかの散歩:86】2015年9月19日(2015年10月)
【まちなかの散歩:86】2015年9月19日(2015年10月)
風が肌に心地よくなり、日頃は(戦後の平和な復興期・成長期を支えてきた)年嵩の方々のゲートボール広場が、しばらく運動会の練習に黄色い歓声を上げる園児達で一杯になる。
さて、成長した彼等が年老いた我々に、2015年9月19日午前2時に決定した出来事について、「何故、あんなことが起きたの?何故、あの時もっと強く反対できなかったの?」と責められたならば、どう説明すればいいのか?これまで我々が太平洋戦争に突入した時代の先輩たちを責めてきたように・・・。(足元での『大阪都構想』をめぐる動きも同様であるが・・・。)
それにしても、前回の豊中市長選挙同様、政権与党の総裁が無投票で選ばれた。たった一人の”反乱者“も出ない一枚岩の組織は不気味だ。国民・市民の意見を反映してはじめて民主政治が行われるのだから、意見を表明する機会を奪われている現状は政治の劣化であり、「仮想敵国」の北朝鮮・中国を笑えない。これは「欲しがりません、勝つまでは」「贅沢は敵だ」と脅しをかけて戦争遂行に走らせた理屈・行動パターンではないか?組織の意見に追随するだけで自己の保身を優先する政治家、国民・市民のことを考えず、対峙しない輩が多すぎる。多くの自治体での3U主義(上向き、内向き、後ろ向き)の状況と同様である。
「国際環境が変われば法を変えるべきだ」と言うが、状況が変わっても権力が超えてはならない根幹があり、それは主権在民である。国民の声を反映する国会のはずが、世論調査による国民の声と大きく乖離している。「多くの国民が反対しても、この法律は成立させ、制定後に国民に説明し理解を求める」とは“国民はバカだから、後でじっくりと教えてやる”というのか。手続きが逆であり不遜である。
答弁に立ち往生する大臣の背後から官僚が何度もメモを渡し、ささやいていた。役人の掌で動かされて国民の声を聴かない国民の代表の姿である。「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」(憲法41条)我々が習った教科書には、主権在民、国会は最高機関、選挙で選ばれていない官僚は国民に選ばれた代表者である政治家の指示で仕事をするとある。
情報を独占した上で「反対するなら対案を出せ」と言い、出した対案を現実的でないと言うのは酷である。今後も特定秘密保護法の影響で、益々、情報が公開されなくなる。ただし、情報が公開されても、福島の原発事故が「Under control」と言える方々には通じないかも知れないが・・・。
奇しくも「安保法制」の国会審議が山場を迎えた18日は、1931年(昭和6)には柳条湖の満鉄線路が爆破され関東軍の軍事行動開始で「満州事変」が勃発している。軍国主義一色の教科書が戦後墨で塗り潰された経験を持つ方々も、その思いを秘めて沈黙を守ってきたが、人生の店じまいをする時期に来て、やっと語り始められたのであろうか。戦後70年の今年、数々の隠されていた事実が明かにされてきている。我々が学んだ教科書は「嘘が書いてある」として終戦直後の先輩達のように、墨で塗り潰さねばならないのか? そうではあるまい。現実を正すのが、この時代に生きる我々の使命と考えていこう。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.160に掲載)
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