【まちなかの散歩:58】後始末(2013年6月)

【まちなかの散歩:58】後始末(2013年6月)
 連休に我が家を訪れる“アンパンマンと猫大好き”の2歳の孫娘を歓迎するため、玄関には宮山幼稚園の門柱にあるアンパンマンの写真を貼り、手洗いの扉、壁、便座には幾つかの独特の足跡も付けて猫のワッペンが張られた。未だ習慣と成り切っていない排便・“用足し”への苦手意識を払拭する工夫であった。

 平成の大合併も鳴りを潜めているが、今や50周年を越える千里ニュータウンでは、かつて吹田市域と豊中市域の地区を合わせて独立し「千里市」となろうとした時期があった。その時に「ゴミ処理も下水処理も自らの地域内で処理できずに何が独立だ」と反対の意見があったと聞く。美濃部東京都知事の時代には、“ゴミ戦争”と呼ばれる廃棄物処理・公害問題が発生している。東京都内で起きた自区内で処理しない杉並区と処理場を負担させられる大田区との“後始末”を巡る対立であった。

 廃棄物と言えば、昔、大阪市の郊外農村地帯であった豊中の農民は、神崎川・淀川を往復して人糞を“金肥”として汲み取りに行き、野菜などの農産物との交換をしていたらしい。時代が下って、都市化が進展する昭和41年から49年まで第11代目の市長を務めた竹内義治氏は、早くから下水道普及に着目し、猪名川両岸の大阪府・兵庫県の10市町村で広域下水道処理方式を実現させ、豊中市内下水道普及率100%と全国1位の実績をつくり、“下水道の神様”とも呼ばれている。自分の政策に自信のない市長は、成長著しい柳を植えて、4年の任期中に即効の緑化効果を期待し、まちづくりを百年の計として根本から考える骨太の市長は、眼には見えない重要な都市基盤である下水道整備を図ったと言う。かつて京都の鴨川に沿って路面を走っていた京阪電車が道路交通の邪魔扱いにされ、地下に潜って暫くは乗降客が減少したというが、まちづくり・行政の仕事は、短期的に成果が上がることや効率第一ということとは一線を画し、長期的・戦略的に動くことも必要ということでもあろう。

 さて、夏を迎え、円安景気が続き輸入の発電燃料が高騰する中、原子力発電の再開が、経済成長と引き換えにエネルギー政策として我々に突きつけられる。さらに、事故原因の解明、事故関連放射能物質の処理方法、被災地救済の目途も立たず、抜本的には核燃料最終処理方法のシナリオがないまま、日本の原子力発電の高度なレベルの安全性を誇示して原発輸出を表明する姿勢は、“用足し”の意味、システムを無視していると疑わざるを得ない。
 資料によると、奇しくも連休明けの5月15日は、下水道普及に尽力された竹内義治氏の就任の日であった。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.106に掲載)


※まちなかの散歩のバックナンバーはこちらをご覧ください。