【北朝鮮逃避行:15】(2017年9月)

順川ではずっと、お風呂に入っていません。夏は大同江で泳いだのですが、冬はどうしていたのか、風呂に入った記憶はありません。兄達に聞いても、下のほうに風呂はあったらしいが、入った記憶はないそうです。
毎晩、のみ・シラミ取りをしていました。若いお嬢さんも皆、のみ・シラミ取りをしていました。恥も外聞もなく当たり前のことでした。
日本人会で社宅を逃げ出すことを決めました。また、あの寒い厳しい冬を越せないという判断があったのでしょう。9月頃だったでしょうか?
敷布団カバーと米と“飯ごう”だけを持って社宅を出ました。旭硝子社宅群を早朝に抜け出しました。日本人会の中でも、金持ちの人は船を雇った人もありました。
長兄はこう話します。最初の日は6里ぐらい歩いたこと。道端に敷布団カバーを拡げて袋にし、その中に入って寝たこと。翌朝、起きたとき、足が痛くてたまらなかったこと。「もう、歩くのやめて!こらえて欲しい」と思うぐらい痛かったそうです。それでも、布団カバーをたたんで、リュックに入れて担いで歩いたそうです。大同江にぶつかるところがあって、その川を渡してもらわないといけないので、交渉をしたりしているうちに、朝鮮の保安隊(日本の警察のこと)に追いつかれ、止められました。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.202に掲載)


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