【豊中駅前の歴史:90】豊中市二大字共有墓地(2017年10月)

今号は国道176号線沿いの岡上の町4丁目にある墓地について、松浦さんと籔本さんにお話を伺いました。

——松浦さんは墓地委員会の委員長をされていますね。この「二大字共有墓地」の名前について教えて下さい。
松浦氏:「大字(おおあざ)」とは明治になって付けられた町村区名で、「大字轟木」と「大字新免」が共有する墓地なので、この名が付いています。新免村の墓は、昔は玉井町1丁目の豊中駅の近くにあったそうで、1913年(大正2年)の豊中駅の開業後、宅地開発によりこの墓地に移ってきたと聞いています。
——沢山のお墓が、ぎっしりと並んでいますね。
松浦氏:周辺に移り住んで来られた方々のお墓も沢山あります。古くは2~300年前のお墓もあり、どなたもお参りをされずに放置されているものもあります。また転居されたままお参りをされない方もあります。“墓じまい”されるのか、残されるのかお訊ねし整備するのが私たちの仕事です。毎年8月第1週目の日曜日の大掃除の「案内はがき」を出します。お墓を持っている方で案内が届かない方は連絡をいただければ有難いです。
——大きな榎の下に「憶(おく)念(ねん)」と刻まれた大きな石碑が建っていますが。
松浦氏:太平洋戦争の昭和20年6月7日、当時の豊中中学校(現:豊中高校)から勤労学徒として三国の工場に勤務中に米軍のB29の爆撃を受け亡くなった方々と京橋駅付近で被曝死された方を悼み、昭和49年に建立されたものです。
——入り口の階段を上がったすぐ右に大きな石碑が建っていますね。
籔本氏:私の先祖の墓です。「綾(あや)綱(つな)久蔵(きゅうぞう) 門弟中」と刻まれています。裏には「弘化四年」(1847年)とあり、今から170年前の江戸時代後期で、ちょうど私が生まれた100年前になります。土山(どやま)家と久蔵の門弟たちが寄って建立したと想像します。土山家は私の祖母の実家で、小さい頃から「綾綱久蔵」は土山家の先祖の一人で相撲取りだと聞かされていました。祖母の生まれた土山家は、私の住まいから40m南西に位置し、刀根山道沿いに広い屋敷があり、家には繁栄の時を物語る槍や籠が飾ってあったそうです。祖母が亡くなってからは、私が「文化五年(1808年)新免村 六左衛門」と刻まれた土山家先祖の墓と綾綱久蔵の墓も管理し墓参りをしています。
——先祖に相撲取りがおられたとは驚きですね。
籔本氏:土山家の菩提寺「光源寺」で先代の住職に調べてもらいましたが、綾綱久蔵に関する記録は残っていませんでした。時代からすると大阪相撲の関取だと思いますが、大阪相撲の歴史を調べても久蔵の名を見出す事はできませんでした。
——お二方、今日は有難うございました。

プロフィール
松浦幸夫 氏 昭和4年生まれ 豊中市二大字共有墓地委員長 本町1丁目在住
籔本 圭一 氏 昭和22年生まれ 豊中みどりの交流会運営委員長 本町3丁目在住


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