【豊中駅前の歴史:77】七夕まつりが始まった時代(2016年5月)

毎年恒例の「豊中駅前七夕まつり」は昭和55年(1980年)に始まりました。日頃お買い物して下さるお客さんへの感謝の気持ちとして、刀根山道(一番街)の商店主たちが車道の片側を車止めにして、夜店を出して子どもたちに楽しんでもらおうと始めたそうです。蓋を開けてみるとあまりの参加者の多さにびっくりし、翌年から銀座通り商店街、新開地デパート、阪急豊中市場が参加する駅前挙げての大きなイベントとして開催される事になりました。銀座通りと一番街に車を入れず、商店街を自由に人が行き来できる「歩行者天国」での七夕まつりには、通りを埋め尽くす人たちで溢れかえったそうです。この成功を見て駅前の商店主たちは、いつかは車から開放され、買い物客が自由に歩ける楽しい商店街にしたいとの思いを持って、毎年七夕まつりを続けてきたと聞いています。
昭和55年は阪急電車の高架工事が始まって2年目となる年です。写真——1は工事が始まった昭和54年に阪急豊中駅ビルから宝塚側を撮ったものです。まだ高架になっていない線路が延びています。写真‐2は当時の阪急豊中駅ビルと人工広場です。高架事業は宝塚方面のホームの完成が平成9年(1997年)、駅全体が高架化されるのは平成12年(2000年)と大変年月をかけたものでした。これにより駅前広場、バスターミナル、側道は整備され、西口は再開発ビルが建ち、梅田まで10数分で行けるようになりました。
写真‐3は昭和43年に撮られたもので、当時阪急豊中市場があった銀座通り商店街の写真です。写真左に駐車違反の取締り中の警察官が、道路に飛び出しそうな幼児を止める様子が見えます。今はアーケードは新しくなり歩道も整備され街並みも大きく変わりました。ただ、道路状況はあまり変わらないようです。毎年七夕まつりで賑わう会場の外では、箕面街道と豊高道の渋滞する車の列は長く続きます。

※写真の提供につきましては豊中市広報広聴課並びに郷土出版社魚守様にお世話になりました。御礼申し上げます。


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