【まちなかの散歩:91】もう、弱い者いじめをやめよう(2016年3月)

 また3月がやって来た。豊中稲荷神社に荒汐部屋がやってくる大阪場所のことではない。涙の卒業式でも転勤・転宅のことでもない。ましてやセンバツ高校野球でもない。
 今号のまちづくりニュース掲載の「豊中への便り」への寄稿文『東日本大震災から5年を迎える岩手県大船渡市からの便り』に紹介される遅々として復興が進まぬ東日本大震災の3月である。
 この文を寄せてくれた彼は大阪で学び、東京の企業内研究者としての生活に飽き足らず、3年前から大船渡市に移り住み、高齢者が主体となって運営している『居場所ハウス』で支援活動を行っている。それが彼の大学時代からのテーマである。現在の活動は食堂、農園、朝市、そして、ひな祭り、七夕など季節ごとの行事を行っているという。そこで大切にされているのは、高齢者が“自分にできる役割を担って運営に関わること”であり、調理をしたり、農作業や大工仕事をしたり、花の手入れや食器を洗ったり・・・ 高齢者が様々なかたちで運営に関わっている。
 多くの高齢者施設で、高齢者が「利用者さん」と呼ばれている。一見、丁寧に扱われているようだが、高齢者が単なる「サービスの受け手」としての位置づけであり、自分の役割や生きがいを見いだせないで暮らすことになる。だが『居場所ハウス』では、サービス提供者と受給者という役割に“線引き”がされずに、それぞれが特技を括かして役割を分担支援する仕組みが工夫されているという。地域の資源を持ち寄り、それを組み合わせて、新たな価値を生み出していく。「こうした姿勢が求められるのは被災地に限ったことではなく、少子高齢化、経済規模の縮小を迎える日本中の地域で、組合せの知恵が求められていると考えている」と彼は言う。
 震災以前から、東北は若者が都会に出て行った高齢社会であり、仮設住宅でも高齢者が圧倒的に多く、この5年間に孤独死が190人だとメディアが伝える。さらに市町村合併で「行政の効率化」の名のもとに、住民に役立つ「役場」がなくなり、住民への基礎的で細かなサービスが失われてしまった地域である。それらの重なるハンディをもった地域社会の住民に更に押し付けられた震災・津波での被害。更に原発事故とその風評被害。オリンピックの“おもてなし”で騒いで今なお汚染水が漏れ続ける原発を「アンダーコントロール」と言い切る政府。すでに建設業界の“仕事場”も東京に戻っている。声高な「地方再生」の「地方」には東北は入っていないのか?
 “損害を国に押し付け黒字かな”という東京電力を痛烈に皮肉った川柳を見つけた。しかも押し付けられた国とは我々の払った税金で成り立っている。いつから日本は資本主義でなくなったのだろうか。円安で輸出企業が利益を出せば中小企業もおこぼれで利益が出るという経済政策と聞かされたが、今では、その円安政策で国民はその輸入の損害を押し付けられている。 
 高齢者施設で、弱い「利用者さん」を施設の上階から3人も落とした若い介護職員が出た。まちなかの電柱には「自転車は車道の左側を走ろう」と貼られているがほとんど守られない。もっとも車が怖くて自転車が車道を走れない。車は自転車に気を付けて速度を落としてゆっくり走るという社会に出来ないものか。それが出来なくて自転車は歩行者を犠牲にして歩道を走る。
 もう、そろそろ、社会のそれぞれの場面で弱いものいじめをする気風をやめたいものである。


※「豊中への便り」は下記「第一面」をご覧ください。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.169に掲載)


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