【まちなかの散歩:41】夢は枯野を駆け巡る(2)(2012年1月)

 新春を新たな気持ちで迎えて下さったことでしょう。昨年は、豊中駅前まちづくり会社の運営に色々とお世話になりました。まちづくりニュースの協賛広告をはじめ、レンタルルームのご利用、アイボリー寄席・新免館寄席・アイボリーフォーラムなど各種の催事への参加、川柳投稿・・・。昨年暮れには、このまちづくりニュースのコラムである『豊中駅前の歴史を振り返る』と『まちなかの散歩』が地元・大池小学校で教材として活用してくださるという栄誉に浴することが出来ました。豊中駅前まちづくり会社も昨年12月21日で13年目に入りました。有限会社とはいえ、出資者も全員がまちを愛するまち中の方であり、スタッフ全員がボランティアで働いております。地域に馴染んで、まちづくりの役に立ちたいという歩みが少しは認められたのかとスタッフは喜んでおります。本年もよろしくお願いいたします。こだわり続けて年を越してしまい、なお吹っ切れない思いを伝えたく、暮れの紀行文の続きを記事にすることをお許し頂きたい。

 東日本の被災地を訪ねる旅の途中のことである。これまで多くの観光客で賑わっていたであろう最澄の高弟が開いた伊達市霊山の地。そこでテントを張って果物・漬物を出張販売する被災住民。思いやりの心、人へのやさしさをモットーとする“までい”の力でコミュニティを再生し、いったんは避難者を受け入れながら風の悪戯によって自らも避難者と転化して役場にも村中の民家にも人の気配のなくなった飯館村。それでも使命を果たすため“通い”でやってきている宮司。黛まどかの選による句碑が山麓に並ぶ「あいの句碑」。思わず“句碑覆う秋草の中人恋し″と口にする。原発20キロ圏内の広野町。防護服をきた作業員を乗せた車が行き交う。未だに線量の高い敷地内で原子力発電所の事故収束に向けた命を削っての必死の作業が続いていることを窺わせる。一方で原発放射能被ばくの警戒線を緩めるや留守宅の金目のものをごっそり持って行かれたと緊急避難した高齢の女性が嘆く。遠く福岡県警・広島県警・長崎県警らが警戒するのはそうした不埒な輩である。日本人の美徳が伝えられる中で、あまり伝えられていない事実であった。あの誠実な日本人であるはずがない?だとすれば移民を受け入れなければ高齢者人口を支える労働力人口が確保できない年齢構成となると指摘される我が国の行く末はどうなるのだろうか?
 たくさんの時間、金、知恵が要る。我々は高度成長期に何をしてきたのだろうか?
 “旅を止んで、夢は枯野を駆け巡る”

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.73に掲載)


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