【豊中駅前の歴史:86】昭和50年頃の豊中駅前(2017年4月)

今号は昭和50年代を振り返ります。

写真1は昭和52年(1977年)頃の豊中駅前です。右には昭和43年(1968年)に建った「新開地ビル」(現:マストメゾン)、正面に銀座通り、左は数年後にはボゼム豊中第一ビルとなる建物が写っています。正面奥がスクランブル交差点です。当時、近隣は勿論、東豊中や緑丘の住宅地からも豊中駅前に来られる人も多く、買い物客で溢れる駅前でした。車道にまではみ出した自転車は、駐輪施設を持たない新開地ビルにとって長年の課題となっていきました。銀座通りには、車道を子ども連れで渡る人の前に自転車と車が走っています。また、路上駐車も列を成して並んでいます。今は信号の設置された交差点になり、当時よりは安全にはなりましたが、自転車を留め置く場所がない、車に邪魔されず商店街を歩く事が出来ないまちの課題は解決されないまま40年が過ぎました。
写真2は昭和50年代のスクランブル交差点です。キャプションに「▲大池小学校前の交差点:手前の広い道路は箕面街道であり、奥の米屋へつながっていた。昭和43年、手前の街道が拡幅され、この変則四叉路にスクランブル方式の信号が設置された。」とあります。現在この交差点は大阪府池田土木部が地元の意見を聞き入れ、箕面方面からの導入口を広げる「抜本的な計画」を検討中です。この写真からでも前方の見通しが悪い交差点であることがよく分かります。
写真3はこの当時(昭和51年3月発行)の『商業近代化地域計画報告書』(参照:本シリーズ第15回:2010年6月中旬号掲載)にある豊中駅前の「空間構成図」です。「計画方針」には「豊中地区の整備課題は立地条件が優れているにもかかわらず施設整備が十分でないため、立地条件の良さが逆に歩行者空間の貧困など環境阻害要因となっている現況を改善し、街をよみがえらせることにある」とあります。また「土地利用計画、施設配置計画の方針」では、「駅前から稲荷神社前までをショッピングストリートの主軸とし、沿道の土地利用を高度化する。とくに、駅前から都市計画道路大阪箕面線(箕面街道)と東豊中線(豊高道)の交差点までの約180mは買物公園とし、ダブルデッキを設置するとともに、北側に立体的なショッピングプラザを構成する。この結果、この間のショッピングストリートは、駅前からショッピングプラザまで、重層構成となる」、「買物公園と都市計画道路大阪箕面線に囲まれた第6街区(銀座通りの三角地)にバスターミナルを設置する」などが記されています。大変大胆な構想ですが、平成7年に市長に提案した『豊中駅前まちづくり構想』の理念である“人がゆっくり楽しく歩き回れるまち”に通じる提案が40年以上前にされていたことに驚きます。


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