【まちなかの散歩:104】今だけ、金だけ、自分だけ(2017年4月)

 一躍「大阪府豊中市(野田町)」が世間の脚光を浴び、我が町のイメージを心配してくれる全国の友人・知人達からのメールが届く。「文教都市」を名乗っていても航空機騒音や人口急増で悩まされ傷跡を深く残す都市であることが明らかになったが、問題の真実は納得がいく説明がないままに闇に消されようとしている。土壌汚染地区の指定・排除という環境問題で豊中市の関与が指摘される中、現場を歩いて問題を発見したのは豊中市議だというが、我がまちの政治家たちが問題解明の先頭に立たなくても、少なくとも、いささかも不名誉な関わりをもっていないことを切に祈っている。汚染は地区内のゴミだけで十分である。
 そんな中、昨年10月愛知県でトラックの運転手がスマートフォンのゲーム「ポケモンGO」に熱中して、横断歩道を歩いていた9歳の小学生をはねて死亡させた事件で、3月に禁固3年の判決が命じられた。この運転手は「運転中は必ずゲームをしており、事故を起こした時も前を見ていなかった」という。ゲームをしながらの運転を日常的に繰り返していて「交通ルールや安全性への認識に乏しさがあり、起こるべくして起きた事故と言える」としての判決である。この間に、息子を亡くした父親は「加害者に厳罰を」と訴える一方で、ゲームのシステム変更を求めてきた。この切実な声が届き、一定速度以上で移動中はゲームが出来なくなるようになった。判決に対して父親は「何とか評価できる量刑」というが、なんとも不条理な結果である。これが市民感情で言う「過失」運転致死罪と呼ぶ行為なのだろうか?
 折も折、近所の歩道上でのこと。二人の幼い子どもを連れた父親が走り抜ける自転車運転の『危険』を注意すると、突然に殴りかかり子どもを身体でかばい続けた父親に怪我をさせ逃走したとか。数人の警察官が来て聞き取り調査をしていたというが、何ということだ! 道路交通法の変更を告知しながら、その新ルールに反する自転車の危険な走行を素知らぬ顔をしている警察・行政の姿勢を“見ざる”“聞かざる”“言わざる”と揶揄・警鐘してきたが、事故が起きてからの事情聞き取りでは済まされまい。4月からはランドセルも重たい新入生が、よそ見をし、友達と話し込みながら通学する歩道上でのことである。
 確かに、豊中の車道は狭くて危ない。ましてやゲームを熱中する運転手がいるかもしれない。現状をそのままにして課題を解決するのは難しい。道路の拡幅を諦めており自転車専用道が確保できないなら、せめて自転車レーンをもっと明確にし、車が町中を走る際は速度を落として“自転車を優先する”、一方で自転車に乗る時は耳と目は安全のために専念させ“夜は必ず点灯させる”というルールを確立し徹底できないだろうか。ささやか(?)であっても重要な折り合いの付け方の工夫を改めて考えてみたいものである。
 阪神淡路大震災、東日本大震災を経験して、我々は、この社会のシステムを変えようと決意したはずである。残念ながら子孫に胸張って渡せる状況になく、先行きも楽観できるまでに至っていない。
 だが、“今だけ、金だけ、自分だけ”の風潮が蔓延する時代だからこそ、「ゆっくり歩き回れるまちづくり」を20年以上も前に『豊中駅前まちづくり構想』で示した、この豊中駅前地区が率先して「モデル地区」となる名誉ある行動をとれないものだろうか。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.193に掲載)


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