【豊中駅前の歴史:78】箕面街道“市場前のバス停”(2016年6月)

今号は箕面街道沿いに、ご実家がある竹原さんにお話をお伺いしました。

——「市場前」のバス停の標識が竹原さんのお家の前に立っていますね。近くに「市場」が無いのにどうして「市場前」なのかとの声をよく耳にします。
竹原氏:生前、父が「いつの間にか我が家の前にバス停が引っ越してきた。少しづつ近づいてくる」と言っていましたね。推測ですが、大池小学校の前の道が広くなる、スクランブル交差点になる、銀座通りが一方通行になるなど駅前の道路の整備が行われる中で、バス停が徐々に箕面寄りに移動され、今に至っているということでしょうね。「市場」とは、今はチェリオビルになっている、かつての「阪急豊中市場」のことです。当初は、その「阪急豊中市場」の前にバス停があったそうです。
——このバス停の上には春になると毎年桜が大変きれいに咲きますね。
竹原氏:この季節に外から見えるのは大きく育った楠と桜の葉っぱばかりですが、庭には梅、芙蓉、山茶花、椿、橙、などが植わっています。表と裏にある柿は、戦前祖父が将来の食糧難に備えて植えたのだと母から聞いています。
——このシリーズの第30回「箕面街道付近」で奥田さんから竹原さんのお宅の事をお聞きしました。
竹原氏:この家は昭和7年に私の祖父が奥田さんの祖父の吉村さんに建ててもらったと聞いています。確かに柱も太く大変頑丈に建っていますので、阪神淡路大震災の時も屋根の瓦は一部落ちましたが、建物自体には大きな損傷はありませんでした。和風建築の中に板の間の洋室があります。昭和の初め頃に流行した間取りなのでしょうね。お隣も吉村さんが建てられたお屋敷でした。箕面街道沿いの芝生が一面に植わった広い庭で、よくテニスをされていたのを覚えています。私が小学校の頃の思い出ですね。
——その頃の箕面街道の様子を思い出してください。
竹原氏:厚さ30センチ位の大きなコンクリートの板を敷き詰めたような道だったと思います。走る車は少なく、馬や牛が引っ張る荷車をよく見かけました。「牛の糞を踏んだら、足は遅くなる。馬の糞を踏んだら足が速くなる」なんて言っていましたね。稲荷神社の入り口にあるどんぐりの木の辺りは楽しい思い出があります。秋には石や棒切れを枝に投げるとどんぐりがバラバラ落ちてきてみんなで競って拾いました。車が少なかったからできたのでしょうね。また、このどんぐりの木の下辺りに水路があって、大雨の後にはお宮さんの下池(しもいけ)からたくさんのフナやコイが流れてきました。大人も子どもも魚を追いかけ回して捕っていました。その下池が公園になってほぼ50年ですから、もっと昔の話ですね。
——今日はありがとうございました。

プロフィール/竹原 暁氏 昭和26年生まれ 本町在住


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