【豊中駅前の歴史:29】昭和30~40年代の銀座通り(2011年9月)

このシリーズは、豊中駅前がどのように形成され、変遷を重ねてきたかを振り返り、これからのまちづくりに活かしたいと考え企画しました。
今回は2年前に有志が協力し合い建てられた「ラミアーレ豊中」で営業をされている「富士カメラ」のご主人にお話を伺いました。

——私が小学校の頃には「富士カメラ」さんは在りましたね。もう50年以上前になるのですが、その当時から思えば、並んでいるお店は大変替わりましたね。あの頃から商売を続けられているお店は大変少なくなったのではと思いますが。
【西村氏】そうですね。先代が昭和12年に開業しました。その頃には「阪急豊中市場」があり、洋装店、呉服店、履物店、薬局、雑貨店、惣菜店、手芸店、食料品店などが並ぶ商店街であったと聞いています。戦後から昭和30年代でに在ったお店で今でも続いているお店は10軒余りになりました。お店によってはこの数年の間にも何回か替わったところもあり、以前のお店の名前が思い出せないこともあります。
——私が大池小学校に通っていた頃に、スクランブル交差点の一番先に古本屋さんがあって、狭いお店に本がうず高く積まれていたのを憶えています。
【西村氏】その隣が運動靴やゴム長を売っていた靴屋さんがありました。印鑑屋さん、ナイロンストッキングの修理もする靴下店、食堂、文具店、ミシン販売店、贈答用のお菓子やコーヒー豆を売る食料品店、学生服や紳士用品を売る紳士服店、種苗と家具を売るお店(後に本屋さん)、スポーツウェアーから足袋まで売る雑貨店など、今では余り見かけないお店も並んでいました。その中には前回の松浦さんのお話にあった強制疎開で移って来られたお店もあったと聞いています。
——向かい側はどうだったのですか。
【西村氏】下駄や草履の店が3軒あり、戦前からあったパン屋さん、うどん玉や玉子を売る食料品店や、インスタントラーメンやバター・チーズなどを売る食料品店に混じり、金物店、電器店などがありました。お惣菜の浜田さん、毛糸・手芸の店のサチヤさん、お菓子の菊屋さんなどはその頃からありました。まちづくりセンターがあるところは文房具店でした。 そして「阪急豊中市場」がありました。
——かなり昔の売り出しのチラシが此処にあるのですが。その中の1枚は「豊中銀座商店会」のもので、「定例特売日毎月1日と15日」、「定休日8日と18日」の見出しの横に各お店の配置図があり、その下にはそれぞれのお店の特売品が載っています。
【西村氏】昔はお互いのお店同士の交流が盛んで、みんなで企画したことは直ぐに実行されるといった強い絆というか仕組みがしっかりしていました。またみんなよく働きましたね。そのチラシのように休みは月に2回しか無かったですからね。
——別のチラシはA2サイズの大きなもので、表裏両面に「本町聨合 歳暮大売出し」と大きな見出しがあり、「阪急豊中市場」、「刀根山道商店会」、「豊中駅前商店会」、「新開地市場」、「銀座通り商店会」の商業団体の名前が載っています。当時の豊中駅前の東側の主だった商業団体が合同して売り出しを行ったようですね。
【西村氏】そのチラシをみると昭和40年代初めのころだろうと思います。当時は駅前の商業者の結束力は大変強かった、その表れでしょうね。昭和50年代に入り「七夕まつり」が始りますが、この「七夕まつり」がきっかけでそれぞれの商業団体が共同でイベントや売出しを恒常的に行うようになりましたね。私達の次の世代が登場してくるのもその頃です。
——今日は有り難うございました。

(西村 碩(ひろし)氏プロフィール:昭和2年1月生まれ 元銀座商店街振興組合副理事長)


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