【まちなかの散歩:115】ご破算に出来ない年度末(2018年3月)

 韓国での冬季オリンピックの開会式は夜8時から始まった。“アスリートファースト”を唱えながら、時差のある欧米TV放送のスポンサーに配慮して夜でも開会式や試合を行うのは、いつの頃からか。今回も北朝鮮による政治利用を挙って酷評する声にかき消され異常でなくなっている。
北朝鮮の挑戦的行動が韓国の融和行動の中で鳴りを潜めている中、死者を出す豪雪である。北方からの危機を煽って権力基盤を強化した政権は、この北国の豪雪災害に何を考えたのだろうか。
 名護市民が基地容認派の市長を選んだ。地域を経済的困窮状態に放置して、財政支援による経済環境改善を餌にして“我々が推す政治家を選べば救済する”と図ったように映ってしまう。原発を認めざるを得ない程に疲弊した地域経済に付け込んで原発を容認させる手法に極似している。
 原発・基地依存によって経済収入は上がっても、その環境は根本的には変わらない、むしろ悪循環に陥る悲しさに思いを馳せる。あたかも“南斜面の雪解けにつられてドンドン北に向かってしまう兎”の寓話にも似ている。マイナス面があって出来ない相談とは思うが、選挙の出口調査で「あなたは、何を論点として投票しましたか?」と、今や忘れられた“マニュフェスト”(選挙公約)にマークを点けて候補者の評価をすれば、“勝てば官軍”とばかりに歴史を書き換えた明治政府のような流れを止められないものかと空想してしまう。ひび割れ車輪の新幹線と同様に危険である。
 行政と合意の上の行為での価格設定だと次第に明らかになってきている森友学園の前理事長夫婦が(その思想が問われたのではなく)6か月以上の拘置所生活を強いられている。関連して言えば議員の空出張の非をここぞとばかりマスコミ・世論が問うが、これらの書類の点検を使命とする自治体の議会事務局の職員の責任は何故、問われないのだろうか?いずれも、自治体職員の職務怠慢、政治家との癒着でしかない。誰のための仕事をしているのか?
 “人は石垣、人は城、人は堀。情けは味方、仇は敵” 単なる石ころでも積み上げられ組み合わされ「土台」となり、石垣は天守を持ち上げて“主・民”を守り、石橋は両岸を結びつけ田畑を耕す農民を助ける。まちづくりの原点である「合意形成」とは『分断』を『統合』することである。“耕して天に至る“宇和島の水が浦の段々畑。熊本の“通潤橋”裏の千枚田。それぞれに貧しい人々が築き上げた石=強い意思。握った掌の中の砂は、さらさらと指から落ちてゆく。そんな海岸の細かな砂は上流の渓谷で岩が砕かれ流されて、互いに衝突を繰り返して、なお芯の堅さを残している。経済・政治・行政の劣化という、今日ばらばらに起きているかに見える諸現象が、実は根本で繋がっているのではないか。
 このまちづくりニュースも世の流れに棹させず4月から月1回の発行となる。発行減が流れに逆らえないにしても、主張だけは、この“今だけ、金だけ、自分だけ“の流れに細やかながら棹さして、もう少しだけ頑張ってみたい。“ご破算で願いましては”とは、いかない年度末である。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.213に掲載)


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