【まちなかの散歩:90】徒然なるままに-躾け、教育、訓練(2016年2月)

 今月は、エスカレートする政治の独走、傲慢になる国家官僚と劣化する自治体行政という社会構造に同調せず、少し柔らかな話題でお願いしたいという注文に応えて、徒然なるままに・・・。
 朝の散歩中に挨拶をして訝られることが少なくない。それは年嵩の女性には少ないが、子供には多い。見知らぬ変なおじさん(お爺さん)に声を掛けられても知らんふりをして関わらないようにと家庭や学校で厳しく躾けられているからだと訳知り顔に教えてくれた人がいた。一方で、「おはよう、ありがとう、失礼します、すみません」の頭文字を取った「オアシス運動」を行っている学校も少なくない。挨拶は人と人の関係にとって大切だということを教えたうえで、危険から身を守るすべも教えてほしいと思うのは、無理な願い事なのだろうか。
 従軍慰安婦問題が日韓両国間で決着したとマスコミで報じられながら、韓国では若者が「この結末への不満が抑えられない」と訴える。かつて豊中駅前まちづくり会社を視察に訪れた韓国自治体の青年達は「豊中まちづくりフォーラム」のポスター『わが町の島“竹島”を語る』(講師:島根県隠岐の島町職員)を退社時に目にとめ、高揚した口調で喋りながら去って行った。その後、韓国視察団は、ばったりと来なくなった。韓国では近現代の歴史を抗日・愛国主義の内容で徹底的に教えるので、「さもありなん」と思う。質・内容も方向も違うが、「日本はこれから戦争を一切しない、スイスのような永世中立国、平和国家にする」と教えられた我々の世代が「国際環境が変わっているのに平和ボケやで」と批判され、「あの教えは何やったの?」悩んだり、親父や兄貴達が墨で塗りつぶされた教科書を使ったりした日本の教育の歴史も同様ではないか。
 正月の消防出初め式を見た知人が、歳を重ねた消防団員の動きの鈍さに消防活動の不安を覚えたと話していたが、過日の新聞の見出しに「学生が団員に」とあった。若返りが期待できそうだが、現代の学生に直ちに宝塚歌劇団の華麗なラインダンス並みの訓練ができるのだろうか。2月は、1月17日の阪神淡路大震災と3月11日の東日本大震災・福島原発事故の発生した日の間にある。“防災・減災・縮災”と提唱した都市災害研究の第一人者・河田恵昭氏がひとまず関大社会安全研究センターを定年で退職される。氏は防災に向けた都市基盤整備、連絡通信機能の充実とともに常日頃からの行政・市民挙げての防災訓練が必要であると強調されていた。
 18歳に選挙権が引下げられ、青年が投票する初めての参議院選挙が目前に迫っている。憲法改正を筆頭に、教育、福祉・医療、安全・安心・・・これらがどう変化して来ているのか点検・確認する大事な時期を迎えている。それだけに、現代社会の仕組みへの学習・理解や政治・行政への監視などについて常日頃の訓練をしていない青年に可能なのか? - これは老「爺」心だろうか?

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.167に掲載)


※まちなかの散歩のバックナンバーはこちらをご覧ください。