【まちなかの散歩:51】サムライ(2012年11月)

 11月。今月は、2月、4月、6月、9月と並んで月の日数が「31日」に満たない「小」の月である。幼い頃に“西向くサムライ”と覚えろと教えられたが、11月が何故にサムライなのか?“十一”を縦に並べると「士」がなるという。西方浄土を向いて覚悟・悟りを開いた武士達が、農・工・商を束ねて統治していたとでもいうのだろうか?
 武士と言えば、「常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよ」と説いた『葉隠』が有名だが、ぶれずに責任を取る優れたリーダーとして、通水風景で有名な熊本県の通潤橋(つうじゅんきょう)を建設した人物を思い出す。武士ではないが、江戸時代に肥後・矢部郷の農村のリーダーとして活躍した惣庄屋の布田保之助である。彼によって建設が進められた通潤橋は水路橋であるが、常に水不足に悩んでいた隣村の台地の棚田に用水を送るためのものであった。この事業に命がけ取り組んだ保之助は、工事を担当した肥後・種山村の石工たちがアーチを支える石組みを外すとき、舞い上がる砂塵の中、懐に自害のための刀を抱いて、橋の中央に自若として座していたという。この通潤橋は、美しい景観だけではなく、リーダーの企画力と決断力、地域社会にある知恵、合意形成の仕組みなどの叡智がつまっており、日本の地域まちづくりの原点を今に伝えている。
 「都市」というのは、“都”と“市”から成り、その「都」は“者”と“阝”から成る。「者」は、城壁をめぐらす際に土中に一定間隔で呪符(じゅふ)を入れた器を埋め隠した様で「統治」することを指し、「阝」は、“ひざまずく”で、人が跪座する様で、人が集まる所、群がる所である。したがって、「都」は、①集める・統べるという「権力」の部分と②権力に屈する人民の姿との組み合わせで出来ている。「市(いち)」とは、異なる物質を交換・売買するところであり、多くの異質の人々に開放され、人・物・情報が流れ込み共存する場であり、「市」の場が、次第に大きくなって「都市」に成長していく。さらに、「市」を取り仕切る権力者も生まれ、「都」と「市」が重なって「都市」になっていったと言われている。また、商工業者などの特化した職能集団が発生し集まるところであり、多様で異質な人々が、限定された空間内で様々な矛盾や衝突をはらみながらも共生し、新たな価値や時代の先端を行くものを創造し、多くの職場や遊びも生まれやすい場であるのだとか。
 「士」は、現代では、弁護士、税理士、会計士、建築士、技術士、司法書士、社会保険労務士、中小企業診断士、高齢者福祉士、気象予報士…、多くの「士」が「師」と共に貴重な知恵を蓄えている。まちに関して事情をよく知るプロである市民の“思い(Will)”を、技術をよく知る専門家の“叡智”(Skill)を借りて、「のう、こうしょうかい」(農・工・商)と、まちに住み、働き、学び、遊ぶ人々が、“当事者意識”を共有した行政の熱い支援を受けながら“まちづくり”“まち育て”を進めてはいけないものだろうか?

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.92に掲載)


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