【豊中駅前の歴史:41】住宅地の変遷 2(2012年12月)
大正2年に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電車)の駅として開業された豊中駅。今でもこの名称で呼ばれることが多い産業道路(現在の国道176号線)。この2つが今の豊中駅前の発展の基礎となったことはこの歴史シリーズでも何度もお伝えしてきました。豊中駅の開業と同じ年に「豊中グランド」(高校野球発祥の地)ができ、翌年に現在の玉井町に豊中駅周辺では初めての分譲住宅が売出されました。それがきっかけとなり駅西口側は駅前を支える大切な住宅地として発展を続けて来ました。詳しくは中右さん(豊中連合自治会会長)のお話を掲載した本シリーズの第12・13・14回をご覧ください。
昨今の豊中駅前のように商業地にまでマンション建設の波が押し寄せているのは問題ですが、商業地としての駅前の姿も大きく変わろうとしています。また、それを支えてきた周辺の住宅地も変化が起こっています。次号からは西口にお住まいの方や事業されている方からお話をお聞きし住宅地の変遷をお伝えします。
写真は昭和20年代の豊中駅とその周辺の様子です。写真集CD-ROM「戦前・戦後の豊中駅前」からの抜粋です。
※まちづくり会社では、松浦幸夫氏が「アイボリーフォーラム」(現「豊中まちづくりフォーラム」)で使用された{写真集CD-ROM「戦前・戦後の豊中駅前」}(2000円)を販売しております。
※豊中駅前の歴史を振り返るのバックナンバーはこちらをご覧ください。