【豊中駅前の歴史:107】ありがとうございました!荒汐部屋さん(2020年4月)

毎年春の訪れともにやって来る「荒汐部屋」。今号はマネージャーの内海(うちうみ)さんにお話を伺いました。

——今年で最後と聞きましたが、本当ですか。
内海氏:そうなんです。お借りしている豊中稲荷神社さんの建物の老朽化が進み、来年からは使用できないと聞いています。近くで探しているのですが、なかなか難しいようです。
——残念ですね。
内海氏:今年は商店街など駅前に沢山の幟を立てて応援して頂いているのに本当に残念です。豊中駅前を離れたくないです。部屋のみんなも同じ思いです。まちの皆さんは本当にやさしい人ばかり、交通の便も大変良い、こんな良いところは他にはありません。
——今年で何年になりますか。
内海氏:13年目ですね。最初の頃は「蒼国来」他7名でしたが、今は親方、おかみさん、13名の力士、行司、床山それぞれ1名そして私と大所帯になりました。駅前も最初の頃とはずいぶん変わりましたね。プラモデルを売っていたお店、サンドイッチ屋さん、店先でみたらし団子を焼いていたお店など懐かしいですね。でも閉まっていたお店が新しくなっていたり、去年には無かったお店ができていたりして、今年はどのように変わっているのか、それを見るのも毎年の楽しみでした。
——「蒼国来関」は大変な苦難を乗り越えられましたね。
内海氏:2011年に八百長問題が発覚し、八百長に関与したとされ解雇処分を受けました。それから勝訴を勝ち取り復帰するまで2年数か月かかりました。約3年間のブランクから立ち直った先輩を尊敬しています。そして、弟子を見捨てない親方の姿を見て、誇りを持てる親方の弟子で幸せだと心から思いました。
——私も復帰した「蒼国来」が土俵に上がったときは、テレビの前で精いっぱい声援を送りました。今年はコロナウイルスで大変ですね。
内海氏:お客さんが誰もいない中での取り組みは異様な感じがすると力士は言っていますが、普段声援でかき消される体がぶつかり合う音がはっきりと聞こえますね。残念ながら、外出は止められ、会場への行き来はタクシーと、ほとんどまちに出ることが出来ません。毎年商店街を歩いていると「お帰り」と声をかけてくれるのに、寂しいです。
——豊中温泉が廃業されました。
内海氏:豊中温泉さんには本当にお世話になりました。豊中に来るようになって間もなくの頃、部屋のみんなを中華料理店に招待して頂きました。これが地域の方々との交流会の始まりでした。わんぱく相撲などまちの人との交流は年々増えていきました。おかみさんは地域との繋がりを大切にする人で、「地域の活性化に役立つことで私たちの部屋も知ってもらえる」と常々言われています。
——内海さんは今はスタッフとして皆さんのお世話をされていますが、元は力士ですね。
内海氏:2003年10月に放映された「弟子ひとりの相撲部屋」という番組を見て感動して、2014年3月に入門しました。荒汐部屋の創設の間もないころです。頑張りましたが、限界を感じて辞めることにしたのですが、どうしてもこの部屋に残りたいと親方に頼み込んで、今の仕事をしています。いろいろな方と知り合えて楽しいです。豊中でもたくさん友人ができました。
——今日は有難うございました。来年の宿舎が決まりましたら教えてください。

プロフィール/内海 光(うちうみ ひかる)氏 1988年生まれ/「荒汐部屋」マネージャー


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