【まちなかの散歩:2】「豊中稲荷神社」を訪ねて(2008年10月)

 商店街を練って豊穣を祈る神輿で賑わう秋の大祭を前に、阪急バス停「市場前」直ぐにある整備され明るくなった豊中稲荷神社に樋口宮司を訪ね、いろいろとお話を伺った。
 氏子区域を旧豊島郡新免村(現在の本町・岡上の町・玉井町・末広町・立花町・宝山町)とする豊中稲荷神社は、宇迦(うかの)御魂(みたまの)神(かみ)(お稲荷さま)を主神としており、飛鳥時代後期に行基によって建立された金寺の鎮守社として創建されたと社伝にはあるが、神社が鎮座する宮山丘陵は新免宮山古墳群があり、古代より祭祀が広く行なわれた場所であった。
 天正6年(1578)に至り、織田信長は伊丹城主荒木村重を攻略する際、高山右近に命じ神社仏閣を問わず近郷悉く焼き払い、当神社もその災忌にあったが、人心落ち着いた慶安4年(1651)社殿を再建し神璽を奉安し、昭和45年(1970)再建320年を機に社殿等を一新し、「北摂のおいなりさん」と謳われる御社となったとのことである。
 15年前に湊川神社(“楠公さん”)からお越しになった宮司は、数々の祭礼を執り行う一方、その持ち前の豊かな発想力と行動力で、これまで大池小学校のPTA会長も務められ、今年の大阪場所からは内モンゴル出身の十両直前の「蒼国来」(そうこくらい)を弟子頭とする時津風一門・荒汐部屋を誘致し、新免村生れの手塚治虫さんの氏神であることから、これから手塚さんに因んだ趣向を凝らしていきたいと抱負を語って下さいました。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.2に掲載)


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