【豊中駅前の歴史:105】松浦氏・浅井氏が残したもの(2020年2月)

昨年は「豊中駅前の歴史を振り返る」の取材で大変お世話になった松浦幸夫氏、浅井由彦氏のお二方が亡くなられました。心より両氏のご冥福をお祈りいたします。そして生前にいただきました数え切れないご厚情に深く感謝いたします。
一番街の重鎮であり七夕まつりの発起人でもある松浦氏は、豊中駅前の生き字引として数え切れない写真と博識で、私たちの疑問に答えてくださいました。また、自身の空襲体験を小学校など地域で語り、戦争の悲惨さを伝える講演会を頻繁に開かれていました。戦時中の資料を中心とした資料収集と展示の必要性を訴え「豊陵資料室」の設置を実現させた豊中高校の元教諭の浅井由彦氏は、“「豊陵資料室」を通じて学ぶ学校史”を生徒に年に一度授業されていました。授業の資料には「戦前の歪な軍国主義時代を送った当時の生徒の行為と心情に触れ、教育の基本方針が青少年の成長にどのような影響を与えたかを考え、次の時代の新しい豊中の教育を共に学びたい」と記されています。数々の取材をさせていただいた中で、お二人に共通するのは戦争体験でした。歴史を語られる時は必ず「戦前」と「戦後」で話されていました。戦争を体験しない者にでも、未曽有の体験であったことが分かります。決して二度と戦争を起こしてはいけないとの思いが切々と伝わってきます。
お二人のお話は、コラム集VOL2:「豊中駅前の歴史を振り返る」に記載しています。また、当ホームページでもご覧いただけます。

最後に松浦氏のお話で特に印象に残った言葉を紹介します。
2019年3月号「第102回:一枚の豊中駅前の写真」より

松浦氏:七夕まつりの始まりの話を以前にしましたが、商店街にバスや車が通っているようじゃダメです。七夕まつりのように商店街は人が自由に歩けるようにならなければまちの発展はありません。この写真の頃から10年ほど経って「人工デッキ」ができ、30数年後には今の人工広場が出来ました。まちは変わり続けます。今度は車に邪魔されず、人がゆっくりと楽しく歩ける賑わいのある商店街に生まれ変わる番ですね。


※豊中駅前の歴史を振り返るのバックナンバーはこちらをご覧ください。