【豊中駅前の歴史:91】昭和の豊中駅前の道路(2017年11月)

今号は写真集から箕面街道と国道176号の昔の姿を振り返り、これからのまちづくりについて考えます。
国道176号線の前身は昭和8年、産業道路大阪・池田線として開通したものです。写真:1は昭和11年のものです。キャプションには「岡町方面から豊中駅に向かって見たもの。道の左に曲がったところが駅である。当時はびっくりするような広い道路に思われた」とあります。時代は変わり、写真:2は昭和49年の箕面街道との交差点です。現在は銀行の建物も社名も変わりました。しかし形状はそのままです。『豊中駅前まちづくり構想』と『豊中市の基本方針』にあるように、大池小学校前の道を延ばして豊中駅まで繋ぎ四差路の普通の交差点にして、バスやまちを通過する車を通す、そうすれば慢性的な車の渋滞は解消し、銀座通りは歩行者が自由に歩ける商店街になると思います。
箕面街道は昭和7年、府道豊中・箕面線として開通しました。写真:3は戦前に旧豊中中学校(現:豊中高校)の生徒が郊外運動と称し、この道を走っている写真です。編者の鹿島先生は箕面街道について、「当時は広い立派な道かと思ったが、今では大型バスの出会いがやっとで歩行者は常に危険にさらされている」と述べられています。車社会の到来から半世紀経つ現在もこの道は安心して歩ける状態ではありません。写真:4は大池小学校の前の道を市制25周年記念の踊りパレードの行列のようすです。昭和36年のものです。奥に目下大阪府による改良工事が検討されている「スクランブル交差点」が見えます。その奥に見える煙突は当時あった銭湯のものと思われます。


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