【北朝鮮逃避行:17】(2017年10月)

私は今思えば、後になって母が私に話していたのは、「この時のこと」なのだなと思うことがあります。「うちは何も持って出なかったけど、途中で朝鮮人がずらっと並んでいてね。持ってる人の品物をみんな取って行っていった」。
朝鮮人も賢くなっていて、リュックに縫い付けて隠したお金も見つけて取り上げていくのを、長兄は見ていて感心していました。
そんな途中、歩いているときに、朝鮮人が「この道を行くと捕まるから、こっちの道を行くように」と違う道を教えてくれました。その翌日、トラックがやってきて、「いくらかでトラックに載せてやる」と言ってくれましたが、「金がない」というと、「後から来る金持ちから貰うから乗れや」と言ってもらい、一日無料で乗せてくれました。あのトラックに載せてもらわなかったら、もっとかかっていたでしょう。でも、長兄は、違う道を教えてくれた人とトラックに乗せてくれた人は“ぐる”だったのではないかと思っています。私たちは一週間から10日かかって38度線を越えました。その時は薄暗い時間になっていましたが山に入りました。
そんなに高い山ではありませんでしたが、その山を越えてくる日本人を待っていてくれた人たちがいました。
山道を下りて行ったら道の向こうから声をかけられ「北朝鮮から帰ってこられた方ですか?ご苦労様でした」と言ってもらって、収容所に案内してくれました。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.204に掲載)


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