【豊中駅前の歴史:67】箕面街道沿い(2015年6月)

今回は本町9丁目にお住まいの辻本さんからお話をお伺いしました。

——稲荷神社側に歩道が整備されてもう10年以上経ちますね。
辻本氏:もうそんなに経つのですね。振り返ってみると、箕面街道沿いも変わりましたね。私が20代の頃は、橋本のタバコ屋さんから、「本町4丁目」のバス停(当時は「花蝶園」という風情のある名前でしたが)まで、大きなお屋敷が並んでいました。今は、その当時のお家は一軒になってしまいました。駐車場や戸建てのお家に建て替わりましたね。最近、駐車場の跡地が工事中ですが、その場所には「日交」タクシーの営業所があり、当時のタクシーのトヨペットが常駐していていたのをよく覚えています。きっと周りのお屋敷の人の送り迎えが多かったのでしょう。
——稲荷山公園がまだ池だった頃ですね。
辻本氏:参道を挟んで、2つとも池でしたね。その池を近くの仕出し屋さんが釣り池にしていたのですが、私はそこでアルバイトをしていました。釣り人の殆どは、わざわざ店まで料金を払いに行きませんので、私は夕方まで釣りをしながら、一人ひとり料金を貰い、最後にお金を渡しに行っていました。帰るときに巻寿司や美味しいものを貰えるのが嬉しく、中学校のときの良い思い出です。
——辻本さんは長く造園業をされておられるようですね。
辻本氏:祖父の代からです。父は私が23歳のときに亡くなりましので、一緒に仕事をする時間は短かったですね。それでも忘れられない思い出があります。その当時は、いくつかの銀行の社宅の庭や生垣の手入れが主でした。ある日、お世話になっている銀行の頭取さんが宿替えされる事になりました。上野坂にある旧の広くて大きなお屋敷を大改装し、お庭も新しく作り変えるということで、父の仕事を手伝いました。門から玄関までが10m位あり、広くてたくさんある部屋を抜けると縁側があり、お庭が広がるというもので、庭はお屋敷の一番奥にあります。その庭に、岩と言って良いくらいの大きな石を入れることになったのですが、裏は崖の様になっているので入れられない。門の方から入れるにしても、建物と塀との間が狭すぎて通れない。そこで玄関から広い応接間と座敷2部屋を通って、庭に運び入れました。
今は、そのようなお屋敷もめっきり減り、お庭や生垣のあるお屋敷が建て替わると数件の戸建てに替わることが多い時代です。植木の手入れをするような庭はガレージに変わりました。車が2台あるお家も少なくありません。緑の無い住宅が増えるのはさびしい気がします。
——今日はありがとうございました。

※プロフィール/辻本 保 氏(有限会社辻本):昭和26年生/本町9丁目在住


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