【まちなかの散歩:56】遠軽高校の快挙(2013年4月)
春の高校野球“センバツ”。このニュースが配布される頃には優勝チームが決まっているはずだが、「21世紀枠」で選ばれた初の北海道代表「遠軽」の名は懐かしい。今は廃線となった“小さな鉄道”で遠軽近くの紋別を経てオホーツクの海に沿って北上すると興部(おこっぺ)から雄武(おうむ)にたどり着く。さらに車で内陸の名寄市に向かって走ると、小さな上沢木小学校分校に着く。ここに大学の先輩が長年支援する若夫婦先生が教える“複複複式学級”があり、そこでの“教育実習”と称する私の貴重な夏休みの体験である。
東北から満州へ、敗戦による引き揚げで北海道での開拓農業、さらに酪農への転換。学校を終えれば少女は札幌の理髪店に、少年は自衛隊に行くと言った言葉が今も耳に残る。国策に翻弄された家族。
教育は重要な「社会的共通資本」であり基礎的な社会保障である。“ゆとり教育の歪”を正すために週6日の授業に戻すという。これからの社会を託する子供達に授業時間の増加という量的側面だけで教育を考えていいのか?現代社会の仕組み、国際理解教育など内容と質はどうなのか?教育を重視するなら管理しやすい体制ばかりでなく、教育政策を全面的に議論してから取り組むべきではないか。
年金制度の破綻を繕うため、60歳から65歳までの雇用延長を制度化する。そのため60歳以下の現役労働者の賃金を下げる。給与を支払う側は、その負担はしないという。これじゃ、実質的には60歳以上の期間はタダ働きしろというのかい?
大阪市営バスの運転手の給与が阪急・阪神という民間バスの運転手の給与よりも高すぎるといって、市バスの運転手の給与を下げる。阪急・阪神バスの運転手の給与が低すぎるのではないかい?
生活保護費が最低賃金よりも高すぎるといって、生活保護費を下げるというが、最低賃金が低すぎるのではないかい?
“仕事に就かせる努力”が必要なのに、働く者の稼ぎを減らすことに向けられていく。これでは、発想が逆ではないのかい。
北朝鮮からの「脱北者」には、かつて日本に住んでいた朝鮮人が多いという。“天国”として“帰った国”が“地獄”であったという。中国を敵視しながら、北朝鮮の核防止を中国に期待するという矛盾。
これまで国策に翻弄され続けてきた人々ならずとも、今日でも年金・社会保障、原発・エネルギー、防災・公共事業、TPP問題・・・、何れも丁寧な議論を経てから国策とすべきであり、更には、こうした重要な国策論議を国会だけでなく、“国会議員を選ぶ訓練”を受けるべき市民を前にして、府・市の議会や行政でも展開して欲しい。
勿論、内向きに組織・人事だけにエネルギーを割く市民不在の“無策”行政は論外である。
遠軽高校の快挙から、つらつら思い浮かべる今日この頃である。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.102に掲載)
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