【豊中駅前の歴史:49】寺内写真館(2013年9月)
今回は上野西にある「寺内写真館」のご主人寺内正義さんにお話を伺いました。
——豊中連合自治会会長の中右さんからお話をお伺いした際に(第45・46回掲載)、戦前に発行された「大日本職業別明細圖」に「寺内写眞館」の広告写真が載っていました。
寺内氏:昭和9年に開業したと父から聞いています。昭和37年に現在の上野に移るまで豊中駅前で開業していました。
——駅前のどの辺りですか。
寺内氏:今の三井住友銀行豊中支店の北角、公衆電話がある辺りになりますかね。今回昔のお話を聞きたいとの申し出がありましたので、何かないかと探したところ、豊中日赤奉仕団大池連合分団の分団長「藤原 潔」さんが調査・編集され、昭和33年に発行された「豊中市大池小学校区 人名録」が出てきました。本町1——9丁目、千里園1——3丁目、刀根山1——2丁目のそれぞれの人名と住所がリストアップされています。その付録にある「商店街案内」を見ていますと、懐かしいお店の名前が載っていました。
——昭和33年と言いますと、未だ三井住友銀行はなく、国道沿いにはたくさんのお店が軒を並べていたと聞いています。
寺内氏:この「人名録」によりますと、私たちの写真館から、「産業道路」と当時は呼んでいた国道176号沿いに大阪方面に向かって、とみや、奥田書店、植竜、毎日新聞舎、豊中プラスチック、丸巳不動産、いずみや、原田書店、タカラヤ、豊中薬局の店名が載っています。そこから道を渡ってもぎっしりとお店が並んでいたのが判ります。
——本屋さん、植木屋さん、不動産屋さん、呉服屋さん、古本屋さん、薬局などいろいろな店が並んでいたのですね。
寺内氏:「商店街案内」には、「豊中駅南(東側)商店街」「豊中駅南(東側)商店街」「豊中駅前商店街」「東新地商店街」「新開地市場」「阪急豊中市場」「銀座街北側商店街」「銀座通り南側商店街」「刀根山道商店街」「豊高道商店街」とあり、駅前には商店街や市場が10もあったことが判ります。
——この「人名録」は大変貴重な資料ですね。その頃の寺内さんは何歳ぐらいになるのでしょうか。
寺内氏:14才、中学2年生ですね。私たちの写真館は今の人工広場の支柱が建っている三角地に面した角にありました。以前はその三角地にもお店があったのが火事で無くなったと聞いています。大阪寄りにとみやさんとの間に大池小学校の方へ抜ける路地に面して数件の住宅がありました。私たちの住まいもあったこの路地の一角にお不動さんがありました。住友銀行がこの辺りに移転する際に、牧野組の会長が緑丘に移つされ「豊中不動尊」になったと聞いています。私たちの住まいのちょうど真ん前が魚屋の「峨ヶ下(がけした)」さんのお店の裏口で、薪代わりにトロ箱をしょっちゅう頂いていました。魚の脂が沁みこんでいるので、よく燃えた記憶がありますね。その裏には銭湯「豊中湯」があり、お隣の「林」理髪店さんの横が入り口でした。
——その銭湯が前回西坂さんのお話の中にあった銭湯ですね。
寺内氏:私たちの写真館が立ち退いた跡に住友銀行が建ち、数年後には豊中駅に人工広場ができ、その直後に当時バラック建てであった新開地市場が新開地ビルとなり、駅前は商業地として大きく成長していくわけですね。そして今はその新開地をはじめ、駅前ではマンションが立て続けに建っていくようですね。上野に移りすでに50年以上になります。駅前から少し離れた場所から見ていると、長い月日の流れの中で、駅前が時代と共に変わって行く姿が良くわかるような気がします。
——今日はありがとうございました。
※プロフィール:寺内 正義氏/昭和19年生まれ 「寺内写真館」店主
※豊中駅前の歴史を振り返るのバックナンバーはこちらをご覧ください。