【まちなかの散歩:31】代行(2011年3月)

 春3月。23日から第83回の“センバツ”(選抜高校野球大会)が始まる。大阪からは我が豊中の履正社が出場する。監督が「歴代でも一番、攻守にバランスが取れている」というチームの活躍に期待したい。そして、その甲子園で自信をつけ多くの先輩が飛び込んだプロ野球もいよいよオープン戦。このように待ちに待った野球の季節の到来であるが、3月は退職・転勤の歓送迎会の季節でもある。飲酒運転など、もっての外だが、急に誘われた時、あるいは、どうしても車で出社したい時に利用するのが「(運転)代行」である。大阪ではあまり見かけないが、地方中心都市では「代行業」の看板をよく見かける。
 代行といえば、国会での攻防の末、投手(党首)交代でもなく、幹事長からの「党代表代行」が誕生した。副代表、補佐、次長でもない「代行」である。幹事長から代表代行では昇格か降格かと詮索するのはサラリーマンの悲しい性であるが、今、我々が切実に求めているのは「党首」の代行役ではなく、「国民」の真の「代表」役である。このところ疎んじられている日本国憲法の前文には「代行」に関する以下の理念が書かれている。

「日本国民は、正当に選挙された国家における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、・・・そもそも国政は、国民は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」

 いよいよ、4月10日は統一地方選挙である。代行役である政治家を直接に選ぶ数少ない機会であり、主権者からの代打者の指名が効を奏するのか。打者の役割と共に監督としての我々の責任は重い。名古屋市・鹿児島県阿久根市で有名になった「住民投票」という制度も活用され、「お任せ民主主義」とばかり言っておらずに首長・議員の選挙以外にも政治・行政に関与する市民行動が出てきているが、選挙後にも政治・行政に関与し、その仕組みを手入れし、改善・改革をはかることも必要である。
 最近流行の言葉に「熟議民主主義」がある。単に多数決で決めるのではなく「人々が対話や協議の中で見解、判断、選好を変化させていくことを重視する民主主義」であり「熟慮し議論し決すること」と説明され、丁寧な解説抜き・異論抜きのメディアを疑ってかかることを含め、頑なさを捨て、自分と対話し、家族と話し合い、自分、家庭、地域社会、都市、国と順次に時間をかけて良くなっていくことが提唱されている。
 我々もベンチに座って居るだけで、打席に入ってバット(行動)を振らなければ、まちづくりにおいてもヒットどころか出塁も期待できないのではないだろうか。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.53に掲載)


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