【まちなかの散歩:36】縮む(2011年8月)

 この春3月11日に起きた東日本大地震から間もなく5か月を迎える。その震度の大きさ、直後の凄まじい津波、加えて安全神話の原子力発電所事故による被害である。
 それぞれに問題点を大きく国民に提起しているが、未だに被害の回復への道が遠すぎる。
 これまで技術立国を誇り、安全・安心を第一とする国民性がその誠実さと優しさとも相俟って国際的信頼を得てきたはずが、その面での回復も危うい。被災地の友人達とともに、これまで胸を張って付き合っていた海外の友人達にも肩身の狭い思いで過ごす日々である。

 東京電力管内だけと考えていた節電が関西にも大きく影響している。それでなくても原子力発電への依存度が高い近畿で、原発行政の迷走も相俟って危機回避に関東から移ってくる企業にとっても生産の縮小を余儀なくされ、日本経済の縮小が気になるところである。節電対策の緊急生産体制は労働者の勤務形態を変える。幼い子供の成長に影響がないのか。

 夏休みに目立つ学生募集のオープンキャンパスの電車内広告。その所在地が小さな活字で書かれている。読めない高齢者のお前達には縁がないPRということなのか。重要なことを小さく書いて責任は果たしているというのか。文化度の高そうな名前の割りに交通不便な立地であることを目立たせない工夫だとすれば、保険会社の但し書き同様に企業に不利なことをアリバイ程度に知らせているのかと僻む気持ちが心の中で高まってくる。その学生も海外留学が激減し、企業人も海外赴任を嫌うようになってきているという。島国日本、貿易立国日本を支える人材の枯渇であり、行動半径の縮小により技術開発力が衰え、国際的に評価される製品が少なくなっている。

 人口減少や環境問題を解決するために物質的な成長が難しくなり、従来のように成長・発展を前提とすることが出来なくなる。人を集め過ぎながら大都市周辺に拡散して住み難くなった都市政策が一転し、『コンパクトシティ』として中心市街地に人口を再び集めるようになっている。郊外に追い出された大学も、その結果、絶対数の少なくなった学生から魅力を評価されず、サテライトキャンパスという分校で都心部への回帰を試みている。

 原子炉の燃料棒の冷却方法が一向に安定せず、放射能汚染食品の流通で、この国はどこまで沈み続けるのか。そんな縮むばかりの話の中で政局に明け暮れる国政だけが節約なき増税論で持ちきりである。身が縮み肝を冷やすのは、お化け屋敷の幽霊だけで十分である。

 我々まちづくり会社が主催するアイボリーフォーラムも地域寄席(アイボリー寄席、新免館寄席)も暑さのせいか、残念ながら参加者が縮小している。とにかく、まず集うことにより、いかにしてまちを豊かにするか、持続可能性を基本とするまちづくりに知恵を出していきたいものである。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.63に掲載)


※まちなかの散歩のバックナンバーはこちらをご覧ください。