【まちなかの散歩:42】単なる懐古趣味でも、守旧派でもなく(2012年2月)

 2月、如月。“きさらぎ”は、“衣更”(“絹更”とも)であり、着ている着物の上に更に重ね着をする厳寒の防寒法である。丹波では今でも高齢者は夜のことを“よさり(夜更り?)”と言い、「よさりに口笛を吹いたら泥棒が来るで!」とたしなめられたものである。京から近い土地での古語の名残であろうか。韓国の友人の父上は(占領時代に馴染んだ日本語が堪能であるが)、早朝のことを“暁”と言い、「毎日、暁の1時間の散歩を日課としている」と“古語”で表現される。

 未だ復興の目途立たぬ東北の中心・仙台からJR仙山線で奥羽山脈の険山峡谷を越え山形県に入ると「山寺」と呼ばれる立石寺がある。1100段の石段を上り詰めると、突き出た岩に張り付く見晴らしの良い堂が建っている。天台宗の宗祖・最澄の最高弟・円仁(慈覚大師)が僧の修行場として建立した寺で、“閑けさや岩にしみ入る蝉の声”の芭蕉の句碑が立つ。かつて、織田信長が天下統一の野望の前に立ちふさがる延暦寺の僧兵を殺虐し寺を焼き討ちにした時、“法灯”を立石寺に移して難を逃れ、再建時に再び戻したとか。
 北陸・富山市で乗降しやすい低床の路面電車・ライトレールが市内を走り、やさしい市民の足となっている。これが近い将来、新幹線の駅と繋がる。市街地の空洞化を防ぐだけでなく、中心部への住民の呼び戻しも企てている。まちづくりの形が違う車中心のアメリカ流の交通政策でなく、欧州風の交通をまちに組み込み、“市電”を復活させている。

 残ってはならないものが残り、“経費がかかる、時代に合わない”という理由で、残されるべきものが打ち棄てられる。“とりあえず”、“急がないと”といって、目先の利益を唯一の判断材料として捨て去っているもの、打ち棄てようとしているものが多すぎないだろうか。そのうち、そう主張し同調する人たちも打ち棄てられるということに気付くことがあるのだろうか?

 あの福島の放射能汚染米と指摘された伊達市には、前述の円仁が開いた霊山がある。伊達市に限らず震災・原発被害で住めなくなり避難した東北の住民が、比叡山の法灯のように、“ふるさとに戻りたい”気持ちを叶えてあげたい。
 そして、それぞれの個人の連帯で豊中のまちにも失われたまちづくりの灯の復活を志し、地道に活動を進めたい。かつて憂国の士として青春に燃えるようなエネルギーを注いだ気力溢れる志士の力を借りたい。“暗いと不平をいうよりも進んで灯りを点けましょう”と。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.74に掲載)


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