【北朝鮮逃避行:14】(2017年8月)

母は以前に家族が世活になった寮で、賄いか掃除婦をして働いていました。その寮はソ連兵の宿になっていたのですが、ある目のこと、母が長兄に「仕事が終わる頃、4時か5時頃に寮に来るよう」に言ったので、夕方に行くとゴミ捨て場に連れて行かれました。そこには囲基や将棋の盤とともに碁石や駒が捨ててありました。長兄と母は碁盤や将棋盤を背負って社宅に持って帰りました。長兄は碁はしなかったけど将棋で遊びました。
「遊び」と言えば、ある日、歩いていたら一本で赤と青の色鉛事が落ちていたので拾ってきてボール紙でトランプを作って遊びました。また、学校の授業で竹と半紙で凧を作って揚げて遊びもしました。竹とんぼも作りました。夏は大同江の川で泳ぎました。
学校を社宅の中に開いてくれました。6畳2部屋と職員室が4畳半。6学年あり、どうやっていたかよく分からないけど授業をしてもらいました。5年の長兄は大体午後で、3月まで学校を開いてもらって通いました。5年の終了証書をもらいましたが、6年はありませんでした。中止の理由はわかりませんが、日本人会で先生の給料を出せなかったからかも知れません。その先生は女性でした。(この5年修了証書が帰国してから長兄の進学に大いに役立つことになりました。)

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.201に掲載)


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