【まちなかの散歩:129】かくも長き不在(2019年5月)
今年の五月は特別である。今年に入り、ほとんどすべてのマスコミが、メーデーはおろかエイプリルフールまで黙殺し、ただただ「改元」ネタを垂れ流し状態にした総決算月となるのか。“源五郎丸”を声援しても、「元号」をほとんど使うことのなかった若者(高齢者も)やスポーツ団体・競技者などが、マスコミに合わせて「平成最後の○○」と声高に叫ぶ姿に肩をすくめる。まるで、それまで地域の学生・高齢者・子どもの足の確保するために使ってくれとの協力要請をどこ吹く風と聞き流し、マイカーを使っていた青壮年層やマニアが惜しむ電車路線の廃線時やブランド列車の廃止時の式典ムードを思い起こさせた。
そんな“改元の大合唱”のなかで5月を迎え、改元を越えて「長期連休」はこれまた特別である。
4月27日(土)28日(日)29日(昭和の日)30日(休日)5月1日(新天皇即位)2日(休日)3日(憲法記念日)4日(みどりの日)5日(子供の日)6日(振替休日)。壮観である。
これでも、真実報道・問題発掘よりも「見出しの名前を付けること」を生業としているかのように見える最近の記者も、これまでどおりに単に“ゴールデンウイーク”と呼ぶのだろうか?
本紙がお手元に届くのは連休明けであろうか。そして夜ならぬ“休み気分”は『まだ明けぬのか』。
「天皇の即位の日および即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」が昨年12月14日に公布され、天皇の即位の日である今年の5月1日と、即位礼正殿の儀が行われる10月22日は祝日扱いとなる。「天皇の即位の日および即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」は、天皇の退位などに関する皇室典範特例を踏まえ、天皇の即位に際し、国民こぞって祝意を表することを趣旨としたもの。「毎日が日曜日」の年金生活者には、普段と変わりがないとはいうものだが、それにしても、いやはやこの頃は休みが多すぎる。通常の土日でも雑沓する盛り場。インバウンドばかりで食えるのか。世界の中での位置づけはこれで良いのか。働き方改革とは、こういうことを意味するのだろうか? 天邪鬼は、そう考えた。
我々の日常生活が著しく変化した要因をコンビニ、宅配便、それを支える高速道路やインターネットの発達と指摘している識者がいたが、これに加えて「週休2日制」を挙げる研究者もいる。
大阪城にある大砲が正午に“ドン”となっていて、それが合図に土曜日が午後から休みになったことから半ドンと呼ばれるようになったと聞かされていたが、もともと大砲は天保山にあった防御のための砲台が大阪城に移されたといういわれを知って驚いたことがある。週休2日制になって死語になった「半ドン」であるが、ゆとり教育を批判した社会が、こんな「ゆとり社会」状況に関心を持たないのは不思議でならない。本来のゆとり教育の目的は、このような現象を自らの目で頭で見つめ直し、考え直す機会・時間をつくることであったはずだが。そろそろこうやって社会の側から強制的に休みとか決めるのではなく個人個人が好きなタイミングで長期休暇を取れる社会にする方向に向かわないとまずいのではないだろうか。
さて府知事・府議会議員、市議会議員の選挙が終わり、新旧の政治家が地域を考え、国を考えることになった。それにしても、自治体の弱体化は目を覆うばかりである。市民が抱える問題に無関心で、内(U)向き、上(U)向き、後ろ(U)向きの3U主義という行政運営に陥らないよう議員諸氏は、行政と激しい議論を戦わせ、内向きの論理で進み市民を顧みない行政運営を監視してもらいたいものである。そして我々市民は、流れに掉さし、自分の足元をみつめて地域自治を再考・再興したいものである。ドン・キホーテは、そう考えた。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.226に掲載)
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