【豊中駅前の歴史:98】一番街の遷り変わり(2018年10月)

今号は一番街の入り口にある「丸本タバコ店」の丸本さんからお話を伺い、豊中駅前一番街商店街を振り返ります。

——いつ頃からタバコ屋さんをされていたのですか。
丸本氏:私がこの家に嫁いできたのが昭和35年(1960年)です。既にタバコ屋と小さなおもちゃ屋もやっていました。本業は履物店で銀座通りに面していました。その頃は普段は下駄を履く人が多く、駅前に下駄屋さんが他に3店ありました。その頃は「都そば」はカメラ屋で、右隣は戦前からあったパン屋の「木村屋」でした。
——一番街の方は?
丸本氏:年代は定かではありませんが、隣から喫茶店、電器屋、ふとん屋、大衆食堂、「シスター薬局」、歯科医院と並んで、マンションの駐車場の入り口の所には呉服屋、お茶屋、糸屋、模型店がありました。向かい側はアイボリーさんが服飾学校と料理教室、モータープールをされていました。道を挟んで煎餅の「松栄堂」、自転車屋、土建屋、牛乳屋、ポンプ屋、山本モータープールがありました。昭和50年頃の様子ですね。
——ビルに建替えられたのはいつ頃ですか。
丸本氏:昭和56年です。それまでの店は今の歩道の上にありました。銀座通りから歩いてきた人は一度車道に降りて、店の前を通ってまた歩道に上がっていました。義父の話では、戦前は今の道路の半分ぐらい前まで敷地があったが、戦争中の強制疎開で削られたそうです。ビルに建替えるのを機に、敷地を歩道に提供し、タバコ屋だけは残してすべてテナントさんに貸すことにしました。オープンした当時、一階のアイスクリームの「サーティワン」は未だ珍しかったこともあって、いつも人だかりが出来ていました。駅前が活気のあった時代ですね。数年後には「ボゼムビル」や「ジオ1300」が建ちました。その頃に建った「ルミエール豊中」には西武百貨店のショップもありました。
——今は少し元気が無くなっているようですが。
丸本氏:「貸し店舗」となっている所がありますね。飲食店が増えて、お昼に買い物が出来るお店が少なくなっています。うちの店の前のモータープールをショッピングモールにしてお店が並び、閉まっているミートショップ西川から中沢カメラまでの辺りがお洒落な商業ビルになったら、一番街は生まれ変るのではないでしょうか。先ずはお店同士、声を掛け合いましょう、それが元気になる一歩だと思います。
——今日は有難うございました。

プロフィール/丸本 綾子氏 昭和13年生まれ/丸本たばこ店店主


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