【豊中駅前の歴史:95】豊高道沿いを振り返る-3(2018年4月)

今号は、豊高道沿いにある呉服屋の羽原さんからお話を伺いました。

——羽原さんがお店を始めたのは、いつ頃ですか。
羽原氏:昭和45年(1970年)、大阪万博の年です。その2年前に駅前に人工広場が完成、デッキで結ばれた「新開地デパート」が翌年にオープン、「ホテルアイボリー」は既に開業と、豊中駅前が生まれ変った、いわば黄金時代のような時でした。
——その頃のお店の周りはどのようでしたか。
羽原氏:銀座通りには「阪急市場」(現:チェリオビル)がありました。スクランブル交差点前の「ツタヤ」は「内田酒店」の倉庫でした。その後「アーチプラザ」に変わり、洒落たお店に囲まれた良い雰囲気の中庭がありました。「ファミリーマート」はその頃は数軒の借家とお店が並んでいました。この店を紹介してくれた不動産屋もその中の一軒でした。道を挟んで間口の広いお洒落なブティック店があり、通りのイメージを作っていました。その頃はまだ珍しかったケーキ屋の「マロン」がありました。そして美容院、私の店、自然食品の店がほぼ同時期に開業しており、隣の3軒のお店からライフまでは住宅が並んでしました。
——今は随分と変わっていますね。
羽原氏:向かい側で当時からあったのは本町郵便局、ジョイフルトヨナカ(島田無線)、石澤外科、佐々木写真館ぐらいですかね。
——どうしてこの豊中でお店を持つと決められたのですか。
羽原氏:昭和45年年頃は、梅花女子大学も今の中学校・高校と同じ場所にあり、女子大生や豊高生、梅花の中高生で非常に活気がありました。また、駅前には他にも呉服屋さんが数多くあり、帽子屋さん、靴屋さん、ブティックがあり、にぎやかでおしゃれな街だったからです。
——今日は有難うございました。

プロフィール/羽原 修一「優雅なきものはばら」店主 昭和18年生まれ


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