【豊中駅前の歴史:66】上野西1丁目「昭和の懐かしい住宅」(2015年5月)

今回は上野西1丁目にお住まいの中島孝子さんからお話をお伺いしました。

——懐かしい昭和のおうちですね。子どもの頃を思い出します。
中島氏:4年ほど前、中央公民館の渡り廊下に「昭和の懐かしい家」というような題で古い木造の和風の家の写真が飾ってありました。どこかで見たことがあるなぁと思ってよく見ると、私の家でした。びっくりしました。どなたかが写真に撮られて、出展されたようです。
——いつ頃に建てられたのですか。
中島氏:昭和4年と聞いています。その頃「北大阪土地開発」という会社がこの辺りを住宅地として区画整理し、宅地として売り出したのだそうです。その一画を買ってこの家を建てたと聞いています。その当時は狐が鳴く声がよく聞かれたそうです。
——豊中高校(当時豊中中学校)が建ったのは大正13年ですが、当時は校舎の周りは一面ススキが生い茂る原っぱだったようですね。
中島氏:私がこの家に嫁いできたのは昭和36年です。さすがに狐の鳴き声は聞いたことはありませんが、私たちのような木造のお家が並び、桜並木になっていました。桜は義父が植えたものでした。その頃は堀田池があり原っぱもあり、静かでのんびりした住宅地でしたね。
——お買いものなどは豊中駅前まで行かれていたのですか。
中島氏:その頃は魚屋さん、八百屋さん、豆腐屋さん、牛乳屋さんなど毎日のように持って来てくれていました。仕出し屋さんもありましたし、毎日駅前までお買い物に行くことはありませんでしたね。今のほうが却って不便な位です。近くにあるお店といえば、豊高道沿いにタバコ屋さん、酒屋さん、米屋さん、文房具屋さんぐらいなものでした。そのうち稲荷神社の前に「ライフ」が出来ましたので、パンや玉子などを買いに行っていましたね。あのライフが創業店だということは後々に知りました。ライフを過ぎて駅前の商店街までは余りお店はなかったように思います。団十郎のお饅頭屋さん、漢方薬の元冶堂さんなどは覚えています。
——駅前にはバスで。
中島氏:いいえ、ほとんど歩いて行っていました。歩いて15分ぐらいで駅前まで行けます。1時間に1・2回しか来ないバスを待つより、ずっと早く行けましたので、あまり乗りませんでした。当時バス賃は10円だったと記憶しています。昔はみんなよく歩きましたね。
——桜の木は今は残っていませんね。
中島氏:大阪万博の頃、周りで建替えるお家が結構あり、工事の車が枝を折っていき枯れてしまいました。その頃から徐々に古いお家が無くなり、阪神淡路大震災を機に、今風の家が立ち並ぶようになりました。今は私どものようなお家ももう1~2軒残っているだけです。
——今日はありがとうございました。

プロフィール/中島 孝子氏:上野西在住


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